2016年3月27日日曜日

眠れない一族

本日は、タイトルが山﨑豊子さんちっくな一冊。
題名だけ聞くとフィクションの推理ミステリー小説かと思います。
が、実際の内容は、生物化学、あるいは医療ノンフィクションです。

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎
ダニエル T.マックス
紀伊國屋書店
売り上げランキング: 131,679

本書は、そのタイトルどおりにヴェネチアの「眠れない一族」の話から始まります。遺伝的に発症する彼らの病名は「致死性家族性不眠症」。始めて聞きました。しかし、不眠症といっても、生半可な病気ではありません。

異常な発汗、頭部(頸部)の硬直、瞳孔の収縮、不眠といった症状から始まり、最終的に死に至る確率はなんと100%。しかも遺伝性で、発症する確率はおよそ2人に1人。この一族にとっては、実に絶望的な話です。しかし、この本で扱う異常な病気は、これだけに留まりません。

・18世紀にヨーロッパで大発生した羊の病気「スクレイピー」
・20世紀前半に発見された「クロイツフェルト・ヤコブ病」等々
・20世紀後半にパプアニューギニアのフィレ族で猛威を振るった「クールー」
・近年イギリスで発生し今に至る「牛海綿状脳症」(いわゆる狂牛病)

「ウイルスやバクテリアが病気を引き起こす」「命を持つ生物だけが感染を引き起こす」等々のそれまでの医学的常識では、上記の病気の特性はとても理解できません。例えば、
・何ヶ月も何年も症状が発生しない。
・感染性も遺伝性も散発性もある。
・焼いても埋めても病原体は不死身。
そして、これらの病気の原因は「非生物のタンパク質(プリオン)である」という結論に達します。命を持たないただのタンパク質が異常な折り畳まれ方をされ、さらに自分と同じ折り畳まれ方をしたタンパク質を増やしていくことにより病気が発症するのです。今迄の常識では及ばないこうした考え方に到達するまでに、長い年月が費やされます。

上記にあげた各種の病気は、発生の時期も場所も違えば、症状も同一ではありません。しかし、全てが「プリオン病で致死性である」という点において共通していることが分かります。このプリオンの存在を突き止める過程が、本書では実にミステリアスに描き出されています。私のように医療や科学の知識がほとんどない人間でも、十分に理解できます。そして、これらの病気についてはまだまだ謎だらけである、という恐ろしい事実も良く理解できました。

また、本書には他にも衝撃的な事実が色々と出てきます。無節操な功績泥棒のノーベル賞受賞者が出てきたかと思えば、小児性愛者であり性的虐待で投獄されるノーベル賞受賞者も出てきます。さらには、プリオン病患者の絶対数が少ないので、採算性の問題から新薬の研究が進まない事実。利益至上主義の食肉業界と、その業界と癒着して人の生命を軽んじる政府当局の無責任・怠慢さ、等々。

しかし、最も衝撃的なことは、人類の祖先に食人の習慣があったという事実かと思います。専門的な話ですが、人類には、プリオン病に罹りにくい「ヘテロ接合体(異なった対立遺伝子を持つ遺伝子型)」の割合が偶然ではありえないほど多いから、という理由だそうです。一方で何故か日本人は、人口の多くが「ホモ接合体(同じ対立遺伝子からなる遺伝子型)」だそうです。そして、このホモ接合体はプリオン病に罹りやすいとか。なんだかタイトルとは別の理由で、少し恐くなりました......。

いやー、本ってほんまええもんです!!

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2016年3月19日土曜日

無戸籍の問題を考えさせられた本

「日本人は人権に疎い」と世界では良く言われています。
「法律は後追いでしかない」とも世間では良く言われます。
本日の1冊は、そのことによる悲劇について、改めて実感させられる本でした。

無戸籍の日本人
無戸籍の日本人
posted with amazlet at 16.03.19
井戸 まさえ
集英社 (2016-01-04)
売り上げランキング: 11,967

この本で扱うのは、無戸籍者の問題です。まさに、カンヌ国際映画祭で柳楽優弥さんが主演男優賞に輝いた映画「誰も知らない」の世界。戸籍がなければ、住民票が作れません。義務教育も受けれないし、健康保険証も持てない。身分証明書が一切無いので、銀行口座も作れないし、まともな仕事にも就けない。作品のなかに綴られている実際の無戸籍者の方の生活や境遇は、まさに悲劇です。読んでいると胸が詰まり、日本という国の何かがおかしいと思えてきます。

何故、無国籍になるのか?簡単です。出生届が提出されていないからです。しかし、提出されなかった理由は様々で、複雑です。親の怠慢や思想もそうですが、最大の障壁になっているものこそ民法772条です。つまり「離婚後300日以内に生まれた子は、前夫の子と推定する」という、いわゆる300日ルールです。では何故、このルールが障壁となっているのか?離婚の調停に時間を要するケース、夫のDVから逃げ出しなかなか籍を抜けられなかったケース、等々。そうしたケースでも民法、つまりは日本国は、生まれてきた子どもの父親は前夫だと勝手に決めてしまうのです。これは女性にとって屈辱であり、到底のめるものではありません。結果として、出生届を出すに出せないのです。

この条項は、女性が自ら離婚を言い出すことなど出来ず、一方で姑や夫の意向一つで理不尽に離縁を申し渡されていたような時代に、子どもの不利益を避けるために定められたものです。時代で言えば、実に100年以上前。それから時代は大きく変わりました。今や、女性の権利は高まり、DNA鑑定で父親が誰かもすぐに分かる時代です。しかし、この条項は時代の変化を無視し、女性の個別の境遇を無視し、何よりも子どもの人権を無視しています。まさに、世界で日本人は人権意識に疎いと思われており、法律は後追いに過ぎない、ということが実感できます。

では何故、改正されないのか?何が邪魔をしているのか?それは「こうあるべき」の勝手な強要、偏狭な価値観の強要です。

誰かに、何かに「守られて」きて、それを当たり前と思っている恵まれた立場の人々は、それが「たまたま」であることを考えず、生まれながらにして弱い立場におかれている人たちにも自分たちの「べき」を押し付けます。かつてある首相が良く口にしていた「自己責任」は、恵まれた側の人の理屈です。しかもその「べき」とは、「離婚は悪」であり、300日ルールを「(女性が受けるべき)離婚の罰」と考えるものです。更には「親の罪は子どもも償え」と平気で言う議員までが登場します。こうした人たちが、日本の政策を決定する立場にいるのです。

こうした議員は、そもそもの日本国憲法における「基本的人権」を理解しているのでしょうか?憲法(日本国)は、人が人らしく生活するための生まれながらに持つ権利を保証しています。侵すことのできない権利として保証しています。親がどうであろうとも、子どもは個人としての人権を有します。政策を決定する側の人たちが目を逸らさず、一人でも多くの無戸籍者の人たちが救われていくことを望みます。そしてこの本を読み、何か出来ることを自分もしたいと思いました。

いやー、本ってほんまええもんです!!


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2016年3月12日土曜日

絶対に実写化して欲しくない本

今日の一冊は、面白かったです。
ですが、絶対に映画化を望みません。
これが実写化されると思うとぞっとします。

天使の囀り (角川ホラー文庫)
貴志 祐介
角川書店(角川グループパブリッシング)
売り上げランキング: 5,900


著者は、「黒い家」「青の炎」「新世界より」「悪の教典」などのインパクトの強い作品で有名な貴志祐介さん。1998年発表と、貴志さんの作品では初期のものです。

本作品の主人公は、ホスピスで働く精神科医の北島早苗。彼女の恋人で作家の高梨が、アマゾンから送ってくるメールから話は始まります。このアマゾン調査隊への参加以降、彼の人格が異様な変容を見せます。自信に溢れ、異常なまでの食欲を見せます。そして何よりも、病的な死恐怖症だった高梨が「死」に魅せられ、その末に自殺します。「天使の囀りが聞こえる」という言葉を残し。

さらに、調査隊の他のメンバー2名も、異常な方法で自殺を遂げたことがわかります。動物嫌いだった男性は、自らトラに噛まれ。子どもを失うことを恐れていた女性は、子どもを特急電車が入ってくる線路に投げ落としたあとで、それを追い。

一方で、高梨の死の謎を追う早苗の話と並行して、「地球(ガイア)の子どもたち」という団体に意図せず関わってしまう、荻野信一という引きこもり気味の青年の話も進展します。彼と一緒にこの団体のセミナーに参加した3名も異常な死を遂げます。ひどい尖端恐怖症だった女性は、ナイフで自分の目を刺し。自分の顔の痣をひどく気にしていた青年は、劇薬の溶液に顔を浸け。更に、極度の潔癖性だった女性は、アオコだらけで不快な悪臭が漂う沼に入水し。そして、蜘蛛恐怖症だった信一も、異常なほどに蜘蛛に魅せられていきます。が、その描写は何とも想像するだけで.....。オエッ。

やがて、それらの原因が線虫である、ということが判明していきます。ブラジル脳線虫という、寄生虫の類です。それに感染したサルを食べたため、ブラジル調査隊のメンバーもその線虫に感染してしまったのでした。この線虫に感染した人間は、強い恐怖を感じるほど、それが強い快楽に変わってしまいます。恐さを感じなくなるため自信に溢れた人間になりますが、それは一時的なもの。やがて、より強い快楽を求め、最終的には自ら死を選んでしまうのです。

では、「ガイアの子どもたち」の参加者も何故、同じような方法で死を選んでしまったのか?それは「ガイアの子どもたち」の主催者こそ、失踪していたブラジル調査隊のメンバーだったからでした。彼は線虫の力に魅せられ、線虫の力はコントロール可能と勝手に過信し、セミナーの参加者に、線虫に感染した猿の肉を食べさせていたのでした。

早苗は、線虫の権威である新たなパートナーである依田の実験により、自ら死を選べない状況に置いた場合に、ブラジル脳線虫に感染した生物が至る最終段階を知ります。「ガイアの子どもたち」の暴走を止めなければ。やっとの想いで「ガイアの子どもたち」が借りていた那須高原の建物を見つけ、そこにたどり着きます。しかし、そこの大浴場で目にした彼らの最終段階は.......。オエッ。

しかも、ここで話は完結かと思いきや、まだまだ悲劇は続きます.....。

多少都合の良い展開は目につくものの、非常にひき込まれて読んだことは事実。さらに、線虫や精神病等々に関する知識も、豊富に提供してくれています。まあグロテスクな描写に少し注意しさえすれば、大変面白い作品だったと思います。

ですが、最初に述べたとおり、実写化は遠慮したいです......。

いやー、本ってほんまええもんです!!


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2016年3月6日日曜日

世界の人権問題について考えてみる本

本日は、極めて硬派な本。
グローバルな人権問題について深く考えさせられた本です。

正しいビジネス――世界が取り組む「多国籍企業と人権」の課題
ジョン・ジェラルド・ラギー
岩波書店
売り上げランキング: 498,881

著者のジョン・ジェラルド・ラギーは、2005年から11年まで、ビジネスと人権に関する国連事務総長特別代表を務めた方です。彼の一連の活動の成果こそ、2011年に国連人権理事会に全回一致で承認され、今やすべての国と企業が尊重する規準となった「ビジネスと人権に関する指導原則」です。グローバルに事業を行う日本企業の多くもいま、この原則に準拠した動きを加速させています。この著書では、何故当時 "ビジネスと人権" という課題がクローズアップされてきたのか、そしてこの課題に著者はどのように向き合ったのか、企業と市民社会との利害の衝突をどのように調整したのか、等々について興味深い記載がなされています。

日本人は、人権というと「思いやり」や「配慮」の話、つまりは "better" の世界の話と考えます。しかし、英語だと人権=Human Rightsとなり、これは「他者が奪うことの出来ない生来の権利」、つまりは "must" の話だという解釈になります。そして、この権利を定義するものとして「世界人権宣言」やILOの「労働における基本的原則及び権利に関する宣言」といったグローバルな規準があります。しかし、国家は自発的にそれを批准するのであって、強制されるわけではありません(実際に、世界有数の先進国であるにもかかわらず、日本はILOの「強制労働の廃止」「雇用と職業における差別待遇の禁止」の2条約を批准していません)。ましてや、これらは企業に対して何ら義務を課すものではありません。

しかし近年、ビジネスと人権の関係において、法的には企業の責任を問えないものの、無視はできない様々な事例が発生してきました。著者は特に、4つの例をあげています。
① 企業のサプライチェーンがグローバルに拡大するなかでの、資本関係のない委託先による人権侵害
② 親会社とは別の法人格を持ち、親会社に責任を追求できない、現地法人の子会社による人権侵害
③ 国家による国民に対する大規模な人権侵害と、企業の共犯関係
④ 進出先の国の法的要求が、国際人権規準と矛盾していることに拠る人権侵害
しかし、企業もこうした事例に伴い、社会的に攻撃を受けることのコストが膨大であることを痛感し、早めに対処する、あるいは防止することの必要性を学んできています。そうした状況のなか、著者は、企業が人権を尊重する責任の根拠を定義する作業を進めます。

ここで問題になったのが、NGOが求めた義務化の動きです。要は「国際法で強制的に企業を取り締まれ!」ということです。しかし著者は、この流れには多くの問題があるとして、与しませんでした。その問題とは例えば
・人権保護の義務は本来国に課されるものであり、同じレベルの義務を企業に課すことは相応しくない
・そもそも能力が不足している国があるうえに、人権に対し責任を持とうとする国の動機まで奪ってしまう
・国内の法制度に重大な再編を要求し、国の自治や管轄権の問題も絡んでくる
そして何よりも、グローバルに拘束力のある規準を各国の合意のもとに策定するには多大な年数が必要となり、その間に人権侵害の問題が拡大していくことを問題視しました。そこで著者が志向した方向性こそが「自発的イニシアティブ」であり、著者が作成したのが「ビジネスと人権に関する指導原則」でした。

この原則は、以下の3つの柱で構成されています。
① 人権を保護する国家の義務
② 人権を尊重する企業の責任
③ 害悪を被った人々の救済へのアクセス
この原則の詳細はマニアックになるので割愛します。ただ、企業が人権課題に取り組む手段として、企業に馴染みのあるデューディリジェンスという手法を持ってきたのは興味深いです。

一方で著者は、「指導原則」が様々な利害関係者からの承認を得るために、さらに何よりも企業が自発的にこの原則を遵守する流れを生み出すために、以下の手順を取りました。
① 共通の対話が出来る、共通認識の基礎を作り上げる
② プロセスの正当性を確保する(あらゆる利害関係者が意見を述べる機会を与える、等々)
③ 識見や影響力を持つ、新たな実務者を舞台に連れ出す(今回のケースでは、企業法務や投資契約の実務者)
④ 現場でテストを行う
⑤ 効果的な政治的リーダーシップを味方につける
⑥ 規準設定機関の間での規準の一致に向けて努力する
特に企業に自発的な行動を促す意味で、⑥の動きは今も続いています。具体的には、OECDやEU、ISO、国際金融公社などが、自分たちの持つ規準に「ビジネスと人権に関する指導原則」を取り込んでいます。ビジネス社会も、これらの規準の修正を受け、それに沿った準備を加速させています。

しかし、人権の問題はいまも世界の至る所で発生しています。特に欧米では、難民・移民が、国民を巻き込んでの問題となっています。そしてそこには、価値観の衝突という問題が生じます。例えば、治安と人権、宗教と人権。これらの衝突する価値観をどのように調整しながら、最適解を出していくのか?ラギーの著書は、ひとつの示唆を与えてくれているように思います。

いやー、本ってほんまええもんです!!


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