2016年8月28日日曜日

人望とは何たるかについて考えさせられる本(「項羽と劉邦」)

本日は、司馬遼太郎さんの名著「項羽と劉邦」です。
「三国志」を20年以上前に読んでおきながら、恥ずかしながらこちらは初読でした。
中国史の年代的にも、ストーリー的にも、まずはこちらを先に読むべきな気がしました。

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社
売り上げランキング: 26,823

本作の面白さは、今更私ごときが言うまでもなく「抜群」です。また本作について今迄は「武勇には秀でるものの徳に欠けた項羽が、武に劣るものの徳に溢れた劉邦に破れる話」と理解していました。が、全くもって、そんな単純な話ではありませんでした。何故なら、読後は個人的に、項羽という人物のほうに魅かれたからです。

まず本作のストーリーは、中国初の統一王朝である秦の時代から始まります。やがて始皇帝が没し、各地で無数の反乱が起きるなか、楚出身の項羽が頭角を表します。劉邦は、その軍勢の一隊に過ぎませんでした。鬼神のごとき強さで秦の章邯将軍を破った項羽は、遂に秦を滅ぼし、自らを「西楚覇王」と称します。その際、劉邦は秦討伐に功こそあったものの、項羽に逆らう姿勢を見せたがために西方の僻地に左遷されます。しかし、劉邦は僻地を抜け出し、秦都があった関中をおさえます。

それにより、劉邦の勢力は項羽と対峙することとなり、両者はその後何度も戦います。しかし戦績は、実に劉邦側の百敗。最後に劉邦は、広武山を要塞化して立て篭ります。それを包囲する項羽。しかし実状は、広武山が巨大穀倉庫であったがために肥える劉邦軍に対し、長期の遠征と伸びきった兵站補給路により飢える項羽軍。両者は一旦和睦するものの、ここが最後のチャンスとみた劉邦は、帰途に着く項羽を追撃します。北方にいた劉邦配下の軍事の天才韓信や盗賊あがりの彭越の参戦、さらには疲弊した楚兵の脱走等により、項羽は窮地に追い込まれ、遂に自らの手で最期の時を迎えます。

ストーリーはざっとこんな感じですが、やはり項羽と劉邦について語られるのは、その人物評です。圧倒的な軍事的優位を誇っていた項羽ですが、最終的に統一王朝である漢を築いたのは劉邦でした。何が二人の運命を分けたのか?

それは徳ではなく、結局のところ「受容力」「寛容さ」であったように思います。二名ともに、まるで子どものような人物です。

項羽は鬼神のごとき人物であり、勇と武において圧倒的です。しかし、それゆえに戦略や戦術の必要性を感じず、他人の言を聞きません。さらに、世界を黒と白に分けて見てしまうため、自分にとって黒と見たものに対しては、恐ろしいほど冷淡です(例えば、20万人もの人を平気で穴に埋めて殺してしまいます)。自然、有能な士は、彼のもとを去っていきます。

 ー 項羽にも、愛情や惻隠の情があった。むしろひとよりもその量は多量であった。しかしそれは項羽自身が対象を美と感じねば、蓋をとざしたように流露しなかった。項羽が美と感ずるのは、陽の洩れる板戸のすきまほどに幅がせまかった。
 ー かれ(項羽)は自分になつく者にはとほうもなく「仁強」であったが、逆に自分に刃むかう者に対しては、悪魔のように残忍になった。項羽は感情の量が多すぎた。

一方の劉邦は、勇も武も智もなく、特段に徳を有しているわけでもありません。ただ愛嬌と受容力だけがあるような人物であり、しかしそれが故に「この人を助けてやらねば」「この人なら自分の話を聞いてくれる」と多くの士がその元に集います。軍事の天才である韓信や有能な軍師である張良、後方で劉邦を支え続けた蕭何、高い謀才を有する陳平などがそうです。

 ー かれ(劉邦)は、虚心にこの場の張良を見、かつ聴いた。(中略)じつのところ、劉邦の取り柄といえば、それしかないと言っていい。張良は語りながら、途方もない大きな器の中に水を注ぎ込んでゆくような快感を持った。

 ー (劉邦は)いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合、賢者よりもはるかにまさっているのではあるまいか。賢者は自分のすぐれた思考力がそのまま限界となるが、袋ならばその賢者を中にほうりこんで用いることができる。

二人の違いをもっとも良く表す言葉こそ「劉邦は大きな網であり、項羽はするどい錐であった」だと思います。ただ、項羽は最期の瞬間まで素の項羽でした。ある意味、「純粋」に生きた人です。一方の劉邦は、端々において、計算して意図的に項羽と逆の姿勢を演じました。無邪気さや受容力は彼の生来のものですが、有徳のイメージは(配下の進言等により)意図的に演じられた姿でした。それこそが、私が項羽という人物により魅力を感じた理由のように思います。

いやー、本ってほんまええもんです!!


↓↓↓↓↓気に入った記事があればクリックください。

このエントリーをはてなブックマークに追加

↓↓↓↓↓たくさんのブログ記事が集まっています。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

2016年8月20日土曜日

偉大なる琵琶湖ワールドな本

またまた万城目ワールド、読み直してみました。
前回の京都(「鴨川ホルモー」)に続き、今回は滋賀県のお話です。
そして、言うなれば本作は「超能力バトル」です。と言っても、「幻魔大戦」や「AKIRA」をイメージしてはいけません。そこは万城目ワールド。全てがゆる〜いです。

偉大なる、しゅららぼん (集英社文庫)
万城目 学
集英社 (2013-12-13)
売り上げランキング: 134,218

本作品、実は映画のほうを先に観てしまいました。従って、主人公である日出家の2人、日出涼介=岡田将生さん、日出淡十郎=濱田岳さんというイメージが、強烈に頭に残ってしまいました。

この日出家は、不思議な力(これぞ万城目ワールド!)を持っています。これは琵琶湖(正確には、琵琶湖に住む「あれ」)から与えられた力で、人間の体の中の水に働きかけ、相手の「精神」を自由自在に操ることができます。この力の修行のため、分家の日出涼介が、本家に下宿に来るところから物語は始まります。

本家の家は、なんと広大なお城。それもこれも、日出家が持つ不思議な力で得たものでした。多くの使用人を抱える日出本家の住人は、当主の淡九郎を筆頭に、力を持たない妻の幸恵(韓国に旅行中)、強力な力を持ち他人の心の声が聞こえてしまうが故にひきこもりになった娘の清子(と言っても性格は強烈)、殿様のような天然な性格で涼介をお供に従える息子の淡十郎の4名。

涼介は同い歳の淡十郎と一緒に、日出家の力で無試験で高校に通い始めます。そしてその初日に教室で、日出家と対立し、同じく不思議な力を持つ棗家の広海と出会います。棗家の持つ力は、日出家と同じく人間の体の中の水に働きかけることですが、操るのは精神ではなく「身体」です(正しくは「時間」ですが...)。

日出家がその力を使うとき、棗家の人間には「しゅらららら」という音が聞こえます。一方で、棗家の人間が力を使うとき、日出家の人間には「ぼぼぼぼん」という音が聞こえます。この音は互いにとって、吐き気を催すほどの耐えられない不快な音です。従って、両家は古くから犬猿の仲だった訳です。

そんな両家の元に、2人が通う高校の新任の校長である速瀬が訪れ、圧倒的な不思議な力を使って両家の当主の動き(時間)を止め、両家に土地(石走)から去ることを求めます。両家は、琵琶湖から不思議な力を得ているため、土地から去ることは両家にとって力を失うことを意味します。

校長の強力な力に対抗すべく、残された日出涼介、淡十郎、清子、棗広海が動くなかで、涼介と広海の2人が同時に力を放つときに「しゅららぼん」という強烈な音とともに強烈な力が発揮されること、そして実は淡十郎(持っている素質は抜群)は琵琶湖のご神水を飲んでおらず力も持っていないことが判明します。

そして迎えた立ち退き回答の期日。清子は策を弄し、まんまと校長の精神に入り込みます。しかし、校長は力を持っていませんでした。ただ何者かに操られていただけ。操っていたのは、日出家使用人の源爺でした。しかし、正体を見破ったときには遅く、淡九郎たち同様に清子も、源爺に動きを止められてしまいます。

絶体絶命の状況で、遂に淡十郎が、涼介と広海が「しゅららぼん」の力を使って死にそうになりながら手に入れてきたご神水を口にします。力に目覚めた淡十郎の耳に聞こえてきたのは「あれ=龍」の声。龍は、自分の縄張りで他の湖(源爺は八郎潟の出身)の力を使う人間に腹を立てており、淡十郎に問います。「去るべしか、否か」と。「去るべし」との淡十郎の命令に従い、龍は源爺を連れ去ってしまいます。

しかし、動きを止められた人たちはそのまま。源爺の術は解けません。この絶望的な状況のなか、棗広海が、棗家に伝わる秘術について話します。しかし、その秘術が持つ本当の目的は.....

エピローグで描かれる源爺の悲しい過去、涼介と淡十郎の少しの成長、そしてある人との再会の予感。そして、「しゅららぼん」という音の笑ってしまう意味。

個人的には、「鴨川ホルモー」と「鹿男あをによし」というお気に入り2作品にはかなわないものの、爽やかな読後感を得られました。やはり、なんだか好きです「万城目ワールド」!!

いやー、本ってほんまええもんです!!


↓↓↓↓↓気に入った記事があればクリックください。

このエントリーをはてなブックマークに追加


↓↓↓↓↓たくさんのブログ記事が集まっています。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

2016年8月6日土曜日

鴨川とオニと大木凡ちゃんな本

本日の一冊も、万城目ワールドです。
実は、恥ずかしながらまだ読んでいなかったデビュー作。妄想全快で楽しめました!

鴨川ホルモー (角川文庫)
鴨川ホルモー (角川文庫)
posted with amazlet at 16.07.29
万城目 学
角川グループパブリッシング
売り上げランキング: 48,778

本作の舞台は京都です。私も学生時代に京都に住んでいたので、本作に出てくる場所はほとんどリアルに、映像として頭に浮かんできました。その意味でも楽しめました。

本作の主人公は、2浪の末に京都大学に入学した、さえない大学生(新入生)の安倍。彼は、葵祭のエキストラのバイトの帰りに、「京大青竜会」といういけてない名前のサークルに勧誘されます。飲食のみの目的でコンパに参加したはずの安倍は、そこで早良京子の完璧な鼻に一目惚れし、入会します。

しかし、入会して暫く経っても、このサークルの目的がさっぱり分かりません。ただそれも、祇園際の宵山を境に変わり始めます。この日、安倍たちは上級生に連れられ、人で溢れる四条烏丸交差点で、京都産業大学玄武組(北の玄武)、立命館大学白虎隊(西の白虎)、龍谷大学フェニックス(南の朱雀)のメンバーと顔合わせをします。そして、青竜会が「ホルモー」をするサークルであり、他の3つのサークルが「ホルモー」を戦い合うライバルであることを知ります。

「ホルモー」とは対戦型の競技で、相手と戦って勝敗を決めるのが目的です。敵味方10名ずつで試合を行い、どちらかが全滅するか、もしくはどちらかの代表者が降参を宣言するまで続きます。普通じゃない点は、戦うのが人ではなく、人が操る鬼(あるいは式神)である点。1人が100匹の鬼を操り、両チーム1000匹ずつの鬼が戦います。では、なぜホルモーなのか?それは、自分が操る鬼が全滅して競技続行不能となった競技者が、鬼との契約に基づいて、本人の意志に係らず絶叫させられる叫び声に由来します。

上級生からのそんな話に半信半疑ながら、鬼語の訓練を続けた安倍たち新入生は、3月に入って遂に、その鬼たちと対面します。吉田神社での奇妙奇天烈な “吉田代替りの儀” を経て、安倍たちは鬼の使い人となります。つまりは、実際に鬼が見え、鬼を操れるようになります。

そして迎えた立命館白虎隊とのホルモー初戦。安倍とは全くウマが合わないものの、その恐るべき攻撃力から「吉田の呂布」とのあだ名を授けられる芦屋の活躍で、青竜会は圧倒的優位に試合を展開します。しかし、安倍の親友である高村の致命的なミスにより、青竜会は敗れます。

その際の芦屋の高村への心無い罵声、更には秘かに想いを寄せる早良京子が芦屋と付き合っていた事実を知り、おまけに二人の痴話喧嘩に巻き込まれて芦屋に殴られたことから、安倍は芦屋と同じチームで戦うことを拒否します。しかし、知らないうちに鬼と契約を交わしてしまっていることから、青竜会を辞めることはできません。結局安倍は、唯一の残された道である「第十七条」の発議を目指します。

「第十七条」が発議されれば、4つのサークルをそれぞれ二分割し、計八組でホルモーを争うことになります。しかしそのためには、青竜会のなかで安倍以外の4名から、一緒に戦うという賛同を得る必要があります。また、芦屋たちを倒して優勝しない限り、「第十七条」を発議したメンバーにはずっと「何ものか」の恐ろしい悲鳴がつきまといます。

しかし安倍は、親友である高村、芦屋の傲慢さに不満を抱えていた三好兄弟、さらには大木凡人のようなオカッパ頭と大きな黒縁眼鏡が特徴で安倍に対してはずっと冷たかった楠木ふみからの賛同を得て、「第十七条」を発議します。そして誕生した安倍率いる京大青竜会ブルースは、後に「吉田の諸葛孔明」との異名を授かることになる楠木ふみの恐るべき知略により勝ち星を積み重ね、遂に芦屋率いる京大青竜会新撰組との優勝決定戦に進みます。しかしその前日、安倍は隠されていた楠木ふみの自分への想い、そして自分の勝手さを思い知ります。

 ー  俺は自分の力をこれっぽっちも信じていない。今だって芦屋を恐れている。つまり、俺は自分の仲間を信じていない。俺のためにずっと力を貸してくれていた人のことにも、何も気づいていない。(中略)俺だけが彼らを信じていない。
 ー  個人的な理由のため、ただの人数合わせに仲間を利用し、口だけは感謝の意を示しながら、その実、まるで彼らの力を信用していなかったのだ。(中略)もっと大切なもののために戦いたかった。自分のためではなく、高村のために、三好兄弟のために、そして何よりも、楠木ふみのために勝ちたいと思った。

そして迎えた優勝決定戦。軍師たる楠木ふみが大事な眼鏡を壊してしまうというハプニングに見舞われますが、やはり楠木ふみの作戦により、戦況を一気にひっくり返します。しかし、試合は意外な結末を迎え......

本著は、確かにバカバカしい妄想小説です。しかし、私はやはり、著者のゆるーい世界観が好きです。そして、本著は、青年の成長の物語だとも思っています。また本著を読み終えた人は、楠木ふみというキャラに魅了されるはずです。映画版では栗山千明さんがオカッパ頭で熱演し、ラストでは美しく変身した姿も見せてくれました。


さらに、本著と併せて、こちらも読みました。本著のサイドストーリー6つで構成された「ホルモー六景」です。

ホルモー六景 (角川文庫)
ホルモー六景 (角川文庫)
posted with amazlet at 16.08.06
万城目 学
角川書店(角川グループパブリッシング) (2010-11-25)
売り上げランキング: 95,403

"京都産業大学玄武組二人静のストーリー" "楠木ふみのサイドストーリー" "(やっと出てきた我が母校)同志社大学黄龍陣復活のストーリー" "玄武組および龍谷大学フェニックスの元会長が東京丸の内で繰り広げるストーリー"。そして、特にお勧めは以下2編です。"もっちゃんこと梶井基次郎と檸檬のストーリー"  "立命館大学白虎隊会長と不思議な長持のストーリー"。これらのサイドストーリーには、安倍や楠木、高村や芦屋も登場します。そして「鴨川ホルモー」のストーリーとも交じり合っています。併せて読めば、楽しめること請け合いです!

いやー、本ってほんまええもんです!!


↓↓↓↓↓気に入った記事があればクリックください。

このエントリーをはてなブックマークに追加

↓↓↓↓↓たくさんのブログ記事が集まっています。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ