2016年9月24日土曜日

日本の黒い歴史と生きる意味について考えさせられる本(『あん』)

もともと小説はあまり読まない人なのですが、最近小説づいています。
本日の作品はいたって地味です。しかし、「生きる」ことの意味を考えさせられます。
大変読みやすいので、一度読んでみることをお薦めします。

([と]1-2)あん (ポプラ文庫)
ドリアン助川
ポプラ社 (2015-04-03)
売り上げランキング: 3,049

本作の主人公は、どら焼き屋を営む千太郎。彼には前科があり、今は亡き恩人のため、どら焼き屋の雇われ店長として働いています。特に生きる意味も感じておらず、ただ流されるまま、借金を返すためだけにどら焼きを焼き続けています。

そんな千太郎の前に現れ、バイトに雇ってくれと懇願してきたのが老婆の徳江。徳江の曲がった指が気になったものの、彼女の作る「あん」のあまりの美味しさに舌を巻き、千太郎は彼女を雇います。やがて、彼女の作る「あん」の味が評判を呼び、店は繁盛し始めます。

しかし、千太郎の前科と同じく、徳江もある秘密を抱えていました。彼女は、若い頃にハンセン病(らい病)を煩い、病気が完治した後もずっと療養所に隔離されていたのです。


ここで少し、日本におけるハンセン病の歴史に触れる必要があります。ハンセン病そのそものの歴史は古く、キリスト生誕時代を描いた映画「ベン・ハー」にも出てきますし、かの大谷吉継もこの病気だったと言います。しかし、1873年には「らい菌」が発見され、ハンセン病の感染力は極めて弱いことが分かりました。さらに1941年には新薬プロミンの使用が開始され、世界的には、ハンセン病は治る病気となりました。

しかし日本では、そうした医療の発展を無視し、1931年に強制隔離政策が開始されました。さらに1953年には、強制隔離政策を永続化させる「らい予防法」を制定させ、患者を徹底的に隔離、差別しました。患者は療養所に強制収容され、過酷な労働を課され、十分な食事も与えられず、断種の手術まで施されたといいます。ハンセン病は遺伝病であるとの誤認により、子どもを持つことも許されなかったのです。

日本政府は、治療可能な病気であるにも係らず、患者に対して強制隔離措置を取ることを認めた「らい予防法」を1996年まで廃止せず、患者の人権を無視し続けました。遺伝病との誤認により、ハンセン病患者を出したことが分かればその家族も差別を受けたため、患者は家族にも捨てられました。従って隔離が解かれても帰る家はなく、虐待と病気の後遺症を抱え、患者の方々は今も社会からの差別を受け続けています。


まさに徳江は、そんな過酷な体験をしてきたのです。彼女にとっては、「働ける」こと、「人と触れ合える」ことだけで幸せだったのです。病気により人生を奪われ、生きる意味を奪われた彼女にとっては。しかし、社会の目は残酷です。彼女が元ハンセン病患者だということが広まり、店の売上は急激に下がります。千太郎はそれでもなんとか徳江を守ろうとしますが.....


千太郎は自らに問いかけます。
 ー お前など生まれてこない方が良かったのだと彼女にささやき続けたのは....その先頭に立っていたのは....神なのだ。一生苦しめてやると、神が言い切ったのだ。それが分かった時、徳江は生涯というものをどう捉えたのだろう?生きていくことをどう考えたのだろう?

その問いに対する答えは、徳江から千太郎への手紙のなかで述べられています。
 ー この場所での歳月が過ぎていくなかで、私には見えてくるものがありました。それはなにをどれだけ失おうと、どんなにひどい扱いを受けようと、私たちが人間であるという事実でした。(中略)闇の底でもがき続けるような勝ち目のない闘いのなかで、私たちは人間であること、ただこの一点にしがみつき、誇りを持とうとしたのです。
 ー 私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はある。

そして、徳江の親友であった森山さんから聞かされた徳江の言葉。
 ー 現実だけを見ていると死にたくなる。囲いを越えるためには、囲いを越えた心で生きるしかないんだって。


日本の政府が、国民が、ハンセン病患者に対して、どんなひどいことをしてきたのか?それを学ぶとともに、「人権とは?」「生きることの意味とは?」について考えさせられました。自分の権利(人権)は、常に他人の権利とぶつかります。人はときに自分の権利を主張するあまり、他人の権利を犠牲にします。それが行き過ぎると、人は悪魔になります。まさにハンセン病患者にとって、日本国民は悪魔であったと言えます。患者の方々は、どんな想いで人生を生き抜いてきたのでしょうか?人が互いの権利を思いやれる日はくるのでしょうか?様々なことを考えさせられました。

なお、本作は映画化もされています。今度はこちらも観てみようと思います。

(C) 2015映画「あん」製作委員会





















いやー、本ってほんまええもんです!!


↓↓↓↓↓気に入った記事があればクリックください。

このエントリーをはてなブックマークに追加

↓↓↓↓↓たくさんのブログ記事が集まっています。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

2016年9月17日土曜日

差別について考えさせられるエイリアン映画(『第9地区』)

本日は映画です。知人にすすめられ、視聴してみました。
ストレートな感想を言えば「めっちゃ、おもろい!!!」です。
が、一方で、グロテスクな場面もかなりあるので、ご注意ください。

第9地区 [DVD]
第9地区 [DVD]
posted with amazlet at 16.09.16
ワーナー・ホーム・ビデオ (2010-11-23)
売り上げランキング: 18,980

・本作の製作は「ロード・オブ・ザ・リング」三部作のピーター・ジャクソン
・舞台は南アフリカ共和国のヨハネスブルク
・物語はドキュメンタリー風に、事件関係者のインタビューから始まる
・なんと主人公の台詞の9割は、役者のアドリブ!!
この時点で既に、普通のハリウッド作品とはひと味もふた味も違います。ストーリーはざっと以下の通り。

ある日突然、ヨハネスブルク上空に巨大な宇宙船が現れ、人類はパニックに陥ります。しかし、そのなかを調査したところ、衰弱しきって、人類を攻撃する気力など全く無いエイリアンたちが発見されます。人類はエイリアンたちを救出して難民として扱うことを決定し、隔離地区である「第9地区」(いわゆる難民キャンプ)を与えます。

それから28年が経ち、文化や外見の違いから、人間とエイリアンの小競り合いが看過できないレベルに達してきます。人間はエイリアンたちを差別し、彼らを「エビ」と蔑称していました(確かに外見はエビのようで、かなりグロいです)。止む無く人類は、彼らを新居住区である「第10地区」(詳細は分かりませんが、「強制収容所のよう」といった台詞が出てきます)に移すことを決定します。










そこで始まったのが、立ち退き受諾署名の取得手続き。エイリアンの管理を任されている超国家組織MNUは、律儀にも(と言っても、社会からの批判を避けるために形式だけ)難民条約に従い、住民(エイリアン)たちから立ち退き受諾の署名を取り始めます。そのチームリーダーに指名されたのが、本作の主人公ヴィカス。しかし手続きと言っても、第9地区内は既に無法地帯(まさに危険なスラム街)と化していたため、多数の傭兵を連れての決死の作業となります。

その作業の過程において、ヴィカスはある家のなかで不思議な筒状の物体を見つけ、そこから噴出された謎の液体を浴びてしまいます。それを境に、彼の身体には徐々に変調が生じ、怪我をしていた左手からエイリアン化が始まります。妻からも見捨てられ、市民からは差別され、MNUからは貴重な実験材料として追われることとなります。そして彼は、第9地区内に逃げ込みます。そこで理知的なエイリアンであるクリストファーと出会い、彼が秘かに準備していた宇宙船への帰還計画が、実は自分の問題(エイリアン化の進行)の唯一の解決策でもあることを知り......

といった感じです。本作で描かれるのは、次第に身体がエイリアンと化していく主人公の「戦い」です。登場する兵器やロボット(?)に、主人公がギャング団やMNUの傭兵と繰り広げる戦闘シーン、これらはなかなか圧巻(但し、正直グロい)です。









しかし、本作で描かれている真のテーマは『差別』です。舞台をわざわざ南アフリカにおいていることからも、アパルトヘイトを風刺していることは明らかです。しかし、それだけではありません。土地の外から来た者(難民等)、外見が自分たちと違う者(他人種等)、謎の病気(?)にかかった者(感染症等)に対して人間が示す、非情なまでの「差別」を描いています。

ヴィカスの元友人であった人たちのインタビューが、本作の冒頭には登場します。彼らにはきっと、自分が差別を行った、という意識はありません。しかし、誰もヴィカスの気持ちには寄り添っていない、彼の声を聞いていないことは明らかです。ヴィカスの声を聞くこともせず、ただ彼に同情している自分に酔っているだけ、でした。

最近は世界でも人権が注目されており、人権は法律を上回るものだ、と言われます。しかし本作では、金と力が人権を上回る、という現実も露骨に風刺しています。本作は2009年の作品ですが、人権尊重を高らかにうたうイギリスやドイツなどが中国に尻尾を振っている昨今の国際情勢を見るに、現実は今も変わらないようです。

物語の終盤まで、ヴィカスは平気で差別もするし、自分のことだけしか考えていないような人間でした。しかし、終盤に彼は、自分の命を危険にさらしながらもクリストファーを助け、宇宙に逃がします。我々が、人間が人間たる所以であると考える「倫理感」を持っていたのは実は、差別され、殺されかけ、最期には完全なエイリアンと化したヴィカスのほうだった、ということです。

「人間らしい」という言葉の意味は一体何なのか?真の善とは?真の悪とは?
そんなことを考えさせられる映画でした。おすすめです!!

いやー、映画ってほんまええもんです!!


↓↓↓↓↓気に入った記事があればクリックください。

このエントリーをはてなブックマークに追加


↓↓↓↓↓たくさんのブログ記事が集まっています。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

2016年9月11日日曜日

1200年もの歴史を有する高野山について学べる本

先般、はじめて高野山に行ってきました。
結果、「好奇心」が更にわいてきてしまったので、本書で勉強してみました。

KOYASAN Insight Guide 高野山を知る一〇八のキーワード (Insight Guide 4)
高野山インサイトガイド制作委員会
講談社
売り上げランキング: 21,840

本書については、まずビジュアルが綺麗です。美しい写真を多数用い、しっかりとした作りに仕上げています。内容のほうは「真言密教」から始まり、「高野山」「空海の足跡」「山のくらし」の大きく4章で構成されており、更に細かく108のテーマについて解説がなされています。

例えばテーマの1つ目は、私がまさに知りたかった「真言って何のこと?」です。真言とは大日如来そのものであり、つまりは唱えることに意味がある大日如来の説く「秘密の言葉(真実語)」だそうです。密教では、三密行(身密、口密、意密)の修法により、仏と一体になる即身成仏が可能であると説かれていますが、その過程で最も重要視されるのが、真言を唱える語密であるとされています。

さて、最初のテーマについて読んだだけで既に、「大日如来」「三密行」「即身成仏」等の良く分からない言葉が出てきました。まず「大日如来」とは、密教の教主であり、真実を表す五智如来の中尊です。

胎蔵界大日如来














「三密」とは仏の身体、言葉、心の働きのことで聖なるものですが、人の場合は同じ三つが煩悩の元となり、これを三業と呼ぶそうです。そして、手に印を結び(身密)、口で真言を唱え(口密)、心に仏を思う(意密)ことで煩悩から解き放たれ、仏との一体化を目指す修行を三密行と呼ぶそうです。

さらに「即身成仏」とは、現世で修行を重ねた結果、生きたまま仏と一体となり、悟りを開くことができるという密教ならではの教えのことだそうです。空海は、先に書いた三密加持によって人間の三業と仏の三密が一体となったときに、即身成仏が叶うと説いています。

この時点で既に、よー分からんです。。。

しかし本書では、そうした「真言密教」の個々の難しい話も簡潔に纏めつつ、幅広いテーマについて解説してくれています。例えば、「壇上伽藍や奥之院、金剛峯寺といった高野山の聖域」の話や「空海の伝説」の話、更には「香」や「精進料理」の話まで。

高野山の聖域である奥之院の中の橋




















例えば、空海という人には、まるでイエス・キリストのように様々な伝説があるそうです。
・7歳のとき、山の頂きから谷底をめがけて願をかけ飛び降りたところ、天女が舞い降りて空海を受け止めた。
・空から明星が飛来して空海の口の中に飛び込み、それを海に向かって吐き出すと、いつまでも明るく輝いた。
等々。

こうした数々の伝説の真偽はひとまず置いておくとしても、少なくとも空海は、たった3ヶ月で8代目の密教の祖師となり、唐に渡ってからわずか2年で帰国しています。さらには詩文や戯曲、文芸評論、語学書といった多彩なジャンルの優れた著書も残しています。教科書でも習ったとおり、三筆に数えられる能書家です。治水事業を行うほどの土木技術も有していたそうです。まさにこの人が「天才だった」ということが良く分かりました。

本書を読んで、もう一度高野山に行ってみたくなりました。海外の文化遺産もいいですが、1200年もの歴史を有する日本の聖地について、皆さんも学ばれてみることをお薦めします。

いやー、本ってほんまええもんです!!


↓↓↓↓↓気に入った記事があればクリックください。

このエントリーをはてなブックマークに追加

↓↓↓↓↓たくさんのブログ記事が集まっています。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

2016年9月3日土曜日

グローバルなルールメイキングこそ最強の経営戦略と確信できる本

本日の1冊は、「グローバルなルールメイキングの現場」について書かれた本です。

かつてスキーのジャンプや柔道でルールの変更がなされた際に、「日本叩きだ」とマスコミが騒ぎ立てました。それと同じ現象が今、ビジネスの至るところでも起きています。ルールの策定(や変更)に対応できない日本企業が続出しています。

以前に別のブログでも書きましたが、例えば現在、オリンピックでは、選手村等々の関連施設で使用される素材に対し、認証が求められます。農産物にはGAP認証、海産物ではMSC認証、木材ではFSC認証等。一方で、こうした国際ルール・認証に疎い日本の業界は、これらの認証をほとんど取得していません。認証取得に必要な時間から考えても、このままいけば「東京で開催されるオリンピック・パラリンピックの選手村で提供される和食の食材が全て輸入品」というような笑えない事態に、現実に陥りそうです。
http://social-value-consultant.blogspot.jp/2016/05/blog-post_22.html

では、ルールとは本当にある日突然、日本に全く知らされないまま、秘密に出来上がるものでしょうか?

そんな訳ありません。長い年月を掛け、オープンな議論の場を何度も経て、作成されます。日本(と日本企業)が、ただそうした動きに無関心すぎただけです。本著は、そうした我が国の姿勢が「将来的には致命的になりかねない」として警鐘を鳴らしています。

競争戦略としてのグローバルルール
東洋経済新報社 (2013-05-02)
売り上げランキング: 94,377

本書の著者は、十数年にわたり、民間の対EUロビイストとして、また政府のWTO交渉官として、グローバルルールの形成過程の現場で生きてきた方です。まず著者は、日本人が「ルールを金科玉条として崇める」のに対し、海外の政府も企業も市民も、普通に「ルールは時々の都合でどうにでもなるものだ」と発想することを指摘しています。

日本人は自らの技術力を誇りとしています。しかし、その技術力が逆に裏目に出ることもあります。そもそもルール形成の交渉は、技術力のある国ではなく、アジェンダを設定した国が主導するそうです。実際、水素エンジン自動車を最初に開発したのは日本企業でしたが、技術規格づくりを主導したのはEUでした。技術が規格化されてしまえば、一般に技術開発の余地は狭くなってしまいます。むしろ、高度な技術を不用意に交渉の場に提示したりすれば、「その技術を提供しろ」と情報開示を途上国から要求されてしまいます。

一方の欧米の先進企業は、極端な話、技術が完成する前にまずルールを作ってしまいます。例えば新しいビジネスを始める際にも、「既存ルールと衝突」するリスクを「新しいルールで管理」しようとします。「社会はかくあるべし」といった理念を掲げることで社会の声もうまく味方につけ、自社に競争優位をもたらすルールを策定してしまいます。さらには官民一体で、途上国にもこのルールを広めます。そうして、欧米でも途上国でもない国、つまりは日本独自のルールは世界のマイナーとなっていくのです。

日本人は、既存のルールを権威と同一視する傾向があります。ささいな法令違反であっても、その実体的影響度を勘案することなく、徹底的にバッシングする風潮があります。企業側が反論できないのをいい事に、度が過ぎる批判が展開されます。しかし、新しいサービスや製品、そして新しいルールには「間違い」もつきものです。いまの日本には、それを受け入れる「懐の広さ」が不足しています。

一方の欧米では、軽微な違反であれば、その事実は公表されないし、罰則も科されないそうです。新しいルールについても、「目標」であり「社会実験」であると考え、まずはトライすることを重視しています。そこには、失敗と軌道修正が前提としてあります。つまりは、「ルールはどうとでもなる」という発想です。

著者は、日本人が誇る長期的な経営とは所詮、「今あるもの」を継続する能力にすぎないと言います。一方の欧米勢は、「今はまだ存在しないものの将来あるべき社会の姿」を見通し、それに向けて長い年月を掛け、ルールを整備していくと言います。どちらの持つ「長期性」が、企業の戦略においてより優れているでしょうか?

まさに、日本と欧米の文化の違いを感じさせられるとともに、日本(と日本企業)も「将来あるべき社会」を考えながら、これからのルール整備に長期的にコミットしていく必要性を感じた1冊でした。

いやー、本ってほんまええもんです!!


↓↓↓↓↓気に入った記事があればクリックください。

このエントリーをはてなブックマークに追加

↓↓↓↓↓たくさんのブログ記事が集まっています。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ