2016年9月3日土曜日

グローバルなルールメイキングこそ最強の経営戦略と確信できる本

本日の1冊は、「グローバルなルールメイキングの現場」について書かれた本です。

かつてスキーのジャンプや柔道でルールの変更がなされた際に、「日本叩きだ」とマスコミが騒ぎ立てました。それと同じ現象が今、ビジネスの至るところでも起きています。ルールの策定(や変更)に対応できない日本企業が続出しています。

以前に別のブログでも書きましたが、例えば現在、オリンピックでは、選手村等々の関連施設で使用される素材に対し、認証が求められます。農産物にはGAP認証、海産物ではMSC認証、木材ではFSC認証等。一方で、こうした国際ルール・認証に疎い日本の業界は、これらの認証をほとんど取得していません。認証取得に必要な時間から考えても、このままいけば「東京で開催されるオリンピック・パラリンピックの選手村で提供される和食の食材が全て輸入品」というような笑えない事態に、現実に陥りそうです。
http://social-value-consultant.blogspot.jp/2016/05/blog-post_22.html

では、ルールとは本当にある日突然、日本に全く知らされないまま、秘密に出来上がるものでしょうか?

そんな訳ありません。長い年月を掛け、オープンな議論の場を何度も経て、作成されます。日本(と日本企業)が、ただそうした動きに無関心すぎただけです。本著は、そうした我が国の姿勢が「将来的には致命的になりかねない」として警鐘を鳴らしています。

競争戦略としてのグローバルルール
東洋経済新報社 (2013-05-02)
売り上げランキング: 94,377

本書の著者は、十数年にわたり、民間の対EUロビイストとして、また政府のWTO交渉官として、グローバルルールの形成過程の現場で生きてきた方です。まず著者は、日本人が「ルールを金科玉条として崇める」のに対し、海外の政府も企業も市民も、普通に「ルールは時々の都合でどうにでもなるものだ」と発想することを指摘しています。

日本人は自らの技術力を誇りとしています。しかし、その技術力が逆に裏目に出ることもあります。そもそもルール形成の交渉は、技術力のある国ではなく、アジェンダを設定した国が主導するそうです。実際、水素エンジン自動車を最初に開発したのは日本企業でしたが、技術規格づくりを主導したのはEUでした。技術が規格化されてしまえば、一般に技術開発の余地は狭くなってしまいます。むしろ、高度な技術を不用意に交渉の場に提示したりすれば、「その技術を提供しろ」と情報開示を途上国から要求されてしまいます。

一方の欧米の先進企業は、極端な話、技術が完成する前にまずルールを作ってしまいます。例えば新しいビジネスを始める際にも、「既存ルールと衝突」するリスクを「新しいルールで管理」しようとします。「社会はかくあるべし」といった理念を掲げることで社会の声もうまく味方につけ、自社に競争優位をもたらすルールを策定してしまいます。さらには官民一体で、途上国にもこのルールを広めます。そうして、欧米でも途上国でもない国、つまりは日本独自のルールは世界のマイナーとなっていくのです。

日本人は、既存のルールを権威と同一視する傾向があります。ささいな法令違反であっても、その実体的影響度を勘案することなく、徹底的にバッシングする風潮があります。企業側が反論できないのをいい事に、度が過ぎる批判が展開されます。しかし、新しいサービスや製品、そして新しいルールには「間違い」もつきものです。いまの日本には、それを受け入れる「懐の広さ」が不足しています。

一方の欧米では、軽微な違反であれば、その事実は公表されないし、罰則も科されないそうです。新しいルールについても、「目標」であり「社会実験」であると考え、まずはトライすることを重視しています。そこには、失敗と軌道修正が前提としてあります。つまりは、「ルールはどうとでもなる」という発想です。

著者は、日本人が誇る長期的な経営とは所詮、「今あるもの」を継続する能力にすぎないと言います。一方の欧米勢は、「今はまだ存在しないものの将来あるべき社会の姿」を見通し、それに向けて長い年月を掛け、ルールを整備していくと言います。どちらの持つ「長期性」が、企業の戦略においてより優れているでしょうか?

まさに、日本と欧米の文化の違いを感じさせられるとともに、日本(と日本企業)も「将来あるべき社会」を考えながら、これからのルール整備に長期的にコミットしていく必要性を感じた1冊でした。

いやー、本ってほんまええもんです!!


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2016年8月28日日曜日

人望とは何たるかについて考えさせられる本(「項羽と劉邦」)

本日は、司馬遼太郎さんの名著「項羽と劉邦」です。
「三国志」を20年以上前に読んでおきながら、恥ずかしながらこちらは初読でした。
中国史の年代的にも、ストーリー的にも、まずはこちらを先に読むべきな気がしました。

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社
売り上げランキング: 26,823

本作の面白さは、今更私ごときが言うまでもなく「抜群」です。また本作について今迄は「武勇には秀でるものの徳に欠けた項羽が、武に劣るものの徳に溢れた劉邦に破れる話」と理解していました。が、全くもって、そんな単純な話ではありませんでした。何故なら、読後は個人的に、項羽という人物のほうに魅かれたからです。

まず本作のストーリーは、中国初の統一王朝である秦の時代から始まります。やがて始皇帝が没し、各地で無数の反乱が起きるなか、楚出身の項羽が頭角を表します。劉邦は、その軍勢の一隊に過ぎませんでした。鬼神のごとき強さで秦の章邯将軍を破った項羽は、遂に秦を滅ぼし、自らを「西楚覇王」と称します。その際、劉邦は秦討伐に功こそあったものの、項羽に逆らう姿勢を見せたがために西方の僻地に左遷されます。しかし、劉邦は僻地を抜け出し、秦都があった関中をおさえます。

それにより、劉邦の勢力は項羽と対峙することとなり、両者はその後何度も戦います。しかし戦績は、実に劉邦側の百敗。最後に劉邦は、広武山を要塞化して立て篭ります。それを包囲する項羽。しかし実状は、広武山が巨大穀倉庫であったがために肥える劉邦軍に対し、長期の遠征と伸びきった兵站補給路により飢える項羽軍。両者は一旦和睦するものの、ここが最後のチャンスとみた劉邦は、帰途に着く項羽を追撃します。北方にいた劉邦配下の軍事の天才韓信や盗賊あがりの彭越の参戦、さらには疲弊した楚兵の脱走等により、項羽は窮地に追い込まれ、遂に自らの手で最期の時を迎えます。

ストーリーはざっとこんな感じですが、やはり項羽と劉邦について語られるのは、その人物評です。圧倒的な軍事的優位を誇っていた項羽ですが、最終的に統一王朝である漢を築いたのは劉邦でした。何が二人の運命を分けたのか?

それは徳ではなく、結局のところ「受容力」「寛容さ」であったように思います。二名ともに、まるで子どものような人物です。

項羽は鬼神のごとき人物であり、勇と武において圧倒的です。しかし、それゆえに戦略や戦術の必要性を感じず、他人の言を聞きません。さらに、世界を黒と白に分けて見てしまうため、自分にとって黒と見たものに対しては、恐ろしいほど冷淡です(例えば、20万人もの人を平気で穴に埋めて殺してしまいます)。自然、有能な士は、彼のもとを去っていきます。

 ー 項羽にも、愛情や惻隠の情があった。むしろひとよりもその量は多量であった。しかしそれは項羽自身が対象を美と感じねば、蓋をとざしたように流露しなかった。項羽が美と感ずるのは、陽の洩れる板戸のすきまほどに幅がせまかった。
 ー かれ(項羽)は自分になつく者にはとほうもなく「仁強」であったが、逆に自分に刃むかう者に対しては、悪魔のように残忍になった。項羽は感情の量が多すぎた。

一方の劉邦は、勇も武も智もなく、特段に徳を有しているわけでもありません。ただ愛嬌と受容力だけがあるような人物であり、しかしそれが故に「この人を助けてやらねば」「この人なら自分の話を聞いてくれる」と多くの士がその元に集います。軍事の天才である韓信や有能な軍師である張良、後方で劉邦を支え続けた蕭何、高い謀才を有する陳平などがそうです。

 ー かれ(劉邦)は、虚心にこの場の張良を見、かつ聴いた。(中略)じつのところ、劉邦の取り柄といえば、それしかないと言っていい。張良は語りながら、途方もない大きな器の中に水を注ぎ込んでゆくような快感を持った。

 ー (劉邦は)いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合、賢者よりもはるかにまさっているのではあるまいか。賢者は自分のすぐれた思考力がそのまま限界となるが、袋ならばその賢者を中にほうりこんで用いることができる。

二人の違いをもっとも良く表す言葉こそ「劉邦は大きな網であり、項羽はするどい錐であった」だと思います。ただ、項羽は最期の瞬間まで素の項羽でした。ある意味、「純粋」に生きた人です。一方の劉邦は、端々において、計算して意図的に項羽と逆の姿勢を演じました。無邪気さや受容力は彼の生来のものですが、有徳のイメージは(配下の進言等により)意図的に演じられた姿でした。それこそが、私が項羽という人物により魅力を感じた理由のように思います。

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2016年8月20日土曜日

偉大なる琵琶湖ワールドな本

またまた万城目ワールド、読み直してみました。
前回の京都(「鴨川ホルモー」)に続き、今回は滋賀県のお話です。
そして、言うなれば本作は「超能力バトル」です。と言っても、「幻魔大戦」や「AKIRA」をイメージしてはいけません。そこは万城目ワールド。全てがゆる〜いです。

偉大なる、しゅららぼん (集英社文庫)
万城目 学
集英社 (2013-12-13)
売り上げランキング: 134,218

本作品、実は映画のほうを先に観てしまいました。従って、主人公である日出家の2人、日出涼介=岡田将生さん、日出淡十郎=濱田岳さんというイメージが、強烈に頭に残ってしまいました。

この日出家は、不思議な力(これぞ万城目ワールド!)を持っています。これは琵琶湖(正確には、琵琶湖に住む「あれ」)から与えられた力で、人間の体の中の水に働きかけ、相手の「精神」を自由自在に操ることができます。この力の修行のため、分家の日出涼介が、本家に下宿に来るところから物語は始まります。

本家の家は、なんと広大なお城。それもこれも、日出家が持つ不思議な力で得たものでした。多くの使用人を抱える日出本家の住人は、当主の淡九郎を筆頭に、力を持たない妻の幸恵(韓国に旅行中)、強力な力を持ち他人の心の声が聞こえてしまうが故にひきこもりになった娘の清子(と言っても性格は強烈)、殿様のような天然な性格で涼介をお供に従える息子の淡十郎の4名。

涼介は同い歳の淡十郎と一緒に、日出家の力で無試験で高校に通い始めます。そしてその初日に教室で、日出家と対立し、同じく不思議な力を持つ棗家の広海と出会います。棗家の持つ力は、日出家と同じく人間の体の中の水に働きかけることですが、操るのは精神ではなく「身体」です(正しくは「時間」ですが...)。

日出家がその力を使うとき、棗家の人間には「しゅらららら」という音が聞こえます。一方で、棗家の人間が力を使うとき、日出家の人間には「ぼぼぼぼん」という音が聞こえます。この音は互いにとって、吐き気を催すほどの耐えられない不快な音です。従って、両家は古くから犬猿の仲だった訳です。

そんな両家の元に、2人が通う高校の新任の校長である速瀬が訪れ、圧倒的な不思議な力を使って両家の当主の動き(時間)を止め、両家に土地(石走)から去ることを求めます。両家は、琵琶湖から不思議な力を得ているため、土地から去ることは両家にとって力を失うことを意味します。

校長の強力な力に対抗すべく、残された日出涼介、淡十郎、清子、棗広海が動くなかで、涼介と広海の2人が同時に力を放つときに「しゅららぼん」という強烈な音とともに強烈な力が発揮されること、そして実は淡十郎(持っている素質は抜群)は琵琶湖のご神水を飲んでおらず力も持っていないことが判明します。

そして迎えた立ち退き回答の期日。清子は策を弄し、まんまと校長の精神に入り込みます。しかし、校長は力を持っていませんでした。ただ何者かに操られていただけ。操っていたのは、日出家使用人の源爺でした。しかし、正体を見破ったときには遅く、淡九郎たち同様に清子も、源爺に動きを止められてしまいます。

絶体絶命の状況で、遂に淡十郎が、涼介と広海が「しゅららぼん」の力を使って死にそうになりながら手に入れてきたご神水を口にします。力に目覚めた淡十郎の耳に聞こえてきたのは「あれ=龍」の声。龍は、自分の縄張りで他の湖(源爺は八郎潟の出身)の力を使う人間に腹を立てており、淡十郎に問います。「去るべしか、否か」と。「去るべし」との淡十郎の命令に従い、龍は源爺を連れ去ってしまいます。

しかし、動きを止められた人たちはそのまま。源爺の術は解けません。この絶望的な状況のなか、棗広海が、棗家に伝わる秘術について話します。しかし、その秘術が持つ本当の目的は.....

エピローグで描かれる源爺の悲しい過去、涼介と淡十郎の少しの成長、そしてある人との再会の予感。そして、「しゅららぼん」という音の笑ってしまう意味。

個人的には、「鴨川ホルモー」と「鹿男あをによし」というお気に入り2作品にはかなわないものの、爽やかな読後感を得られました。やはり、なんだか好きです「万城目ワールド」!!

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2016年8月6日土曜日

鴨川とオニと大木凡ちゃんな本

本日の一冊も、万城目ワールドです。
実は、恥ずかしながらまだ読んでいなかったデビュー作。妄想全快で楽しめました!

鴨川ホルモー (角川文庫)
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万城目 学
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本作の舞台は京都です。私も学生時代に京都に住んでいたので、本作に出てくる場所はほとんどリアルに、映像として頭に浮かんできました。その意味でも楽しめました。

本作の主人公は、2浪の末に京都大学に入学した、さえない大学生(新入生)の安倍。彼は、葵祭のエキストラのバイトの帰りに、「京大青竜会」といういけてない名前のサークルに勧誘されます。飲食のみの目的でコンパに参加したはずの安倍は、そこで早良京子の完璧な鼻に一目惚れし、入会します。

しかし、入会して暫く経っても、このサークルの目的がさっぱり分かりません。ただそれも、祇園際の宵山を境に変わり始めます。この日、安倍たちは上級生に連れられ、人で溢れる四条烏丸交差点で、京都産業大学玄武組(北の玄武)、立命館大学白虎隊(西の白虎)、龍谷大学フェニックス(南の朱雀)のメンバーと顔合わせをします。そして、青竜会が「ホルモー」をするサークルであり、他の3つのサークルが「ホルモー」を戦い合うライバルであることを知ります。

「ホルモー」とは対戦型の競技で、相手と戦って勝敗を決めるのが目的です。敵味方10名ずつで試合を行い、どちらかが全滅するか、もしくはどちらかの代表者が降参を宣言するまで続きます。普通じゃない点は、戦うのが人ではなく、人が操る鬼(あるいは式神)である点。1人が100匹の鬼を操り、両チーム1000匹ずつの鬼が戦います。では、なぜホルモーなのか?それは、自分が操る鬼が全滅して競技続行不能となった競技者が、鬼との契約に基づいて、本人の意志に係らず絶叫させられる叫び声に由来します。

上級生からのそんな話に半信半疑ながら、鬼語の訓練を続けた安倍たち新入生は、3月に入って遂に、その鬼たちと対面します。吉田神社での奇妙奇天烈な “吉田代替りの儀” を経て、安倍たちは鬼の使い人となります。つまりは、実際に鬼が見え、鬼を操れるようになります。

そして迎えた立命館白虎隊とのホルモー初戦。安倍とは全くウマが合わないものの、その恐るべき攻撃力から「吉田の呂布」とのあだ名を授けられる芦屋の活躍で、青竜会は圧倒的優位に試合を展開します。しかし、安倍の親友である高村の致命的なミスにより、青竜会は敗れます。

その際の芦屋の高村への心無い罵声、更には秘かに想いを寄せる早良京子が芦屋と付き合っていた事実を知り、おまけに二人の痴話喧嘩に巻き込まれて芦屋に殴られたことから、安倍は芦屋と同じチームで戦うことを拒否します。しかし、知らないうちに鬼と契約を交わしてしまっていることから、青竜会を辞めることはできません。結局安倍は、唯一の残された道である「第十七条」の発議を目指します。

「第十七条」が発議されれば、4つのサークルをそれぞれ二分割し、計八組でホルモーを争うことになります。しかしそのためには、青竜会のなかで安倍以外の4名から、一緒に戦うという賛同を得る必要があります。また、芦屋たちを倒して優勝しない限り、「第十七条」を発議したメンバーにはずっと「何ものか」の恐ろしい悲鳴がつきまといます。

しかし安倍は、親友である高村、芦屋の傲慢さに不満を抱えていた三好兄弟、さらには大木凡人のようなオカッパ頭と大きな黒縁眼鏡が特徴で安倍に対してはずっと冷たかった楠木ふみからの賛同を得て、「第十七条」を発議します。そして誕生した安倍率いる京大青竜会ブルースは、後に「吉田の諸葛孔明」との異名を授かることになる楠木ふみの恐るべき知略により勝ち星を積み重ね、遂に芦屋率いる京大青竜会新撰組との優勝決定戦に進みます。しかしその前日、安倍は隠されていた楠木ふみの自分への想い、そして自分の勝手さを思い知ります。

 ー  俺は自分の力をこれっぽっちも信じていない。今だって芦屋を恐れている。つまり、俺は自分の仲間を信じていない。俺のためにずっと力を貸してくれていた人のことにも、何も気づいていない。(中略)俺だけが彼らを信じていない。
 ー  個人的な理由のため、ただの人数合わせに仲間を利用し、口だけは感謝の意を示しながら、その実、まるで彼らの力を信用していなかったのだ。(中略)もっと大切なもののために戦いたかった。自分のためではなく、高村のために、三好兄弟のために、そして何よりも、楠木ふみのために勝ちたいと思った。

そして迎えた優勝決定戦。軍師たる楠木ふみが大事な眼鏡を壊してしまうというハプニングに見舞われますが、やはり楠木ふみの作戦により、戦況を一気にひっくり返します。しかし、試合は意外な結末を迎え......

本著は、確かにバカバカしい妄想小説です。しかし、私はやはり、著者のゆるーい世界観が好きです。そして、本著は、青年の成長の物語だとも思っています。また本著を読み終えた人は、楠木ふみというキャラに魅了されるはずです。映画版では栗山千明さんがオカッパ頭で熱演し、ラストでは美しく変身した姿も見せてくれました。


さらに、本著と併せて、こちらも読みました。本著のサイドストーリー6つで構成された「ホルモー六景」です。

ホルモー六景 (角川文庫)
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万城目 学
角川書店(角川グループパブリッシング) (2010-11-25)
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"京都産業大学玄武組二人静のストーリー" "楠木ふみのサイドストーリー" "(やっと出てきた我が母校)同志社大学黄龍陣復活のストーリー" "玄武組および龍谷大学フェニックスの元会長が東京丸の内で繰り広げるストーリー"。そして、特にお勧めは以下2編です。"もっちゃんこと梶井基次郎と檸檬のストーリー"  "立命館大学白虎隊会長と不思議な長持のストーリー"。これらのサイドストーリーには、安倍や楠木、高村や芦屋も登場します。そして「鴨川ホルモー」のストーリーとも交じり合っています。併せて読めば、楽しめること請け合いです!

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2016年7月24日日曜日

「真田丸」をもっと楽しめる本

現在、大河ドラマ「真田丸」を楽しみに観ています。
幼い頃、真田幸村が家康を追い詰めるの図を漫画で読み、心躍らせました。
本日は、幸村(信繁)の生涯について、改めて学べる一冊です。

真田幸村 伝説になった英雄の実像 (PHP新書)
山村 竜也
PHP研究所
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「はじめに」で著者は、「時代に押し流された敗者」である幸村が日本人にここまで愛される理由は、「勝敗にこだわることなく、武士としての筋を通した」生き方と、その「いさぎよさ」にある、と言います。

現在の大河ドラマでも、幸村の忍耐強さと愛嬌、そして策士ぶりは存分に描かれています。一方で、兄の信幸が残した証言が実に印象的です。
「左衛門左(幸村)は国郡を支配する本当の侍であり、それに対して我らは、造り髭をして目つきをとがらせ、肩をいからせている道具持ちというほどの差がある」
信幸も歴史に名を残す名将です。しかし、その信幸にここまで言わせた幸村の人間性恐るべし、です。

大河ドラマでは、幸村の早くからの活躍が描かれていますが、記録で確認できる幸村の初陣は秀吉の北条討伐だそうです。ここで初めて幸村は、六文銭(正確には六連銭)の旗印とともに戦います。ちなみにこの紋は、仏教説話の六道、さらには三途の川を渡るときの渡し賃に由来しており、「真田の者は常に決死の覚悟で戦場にのぞむ」という意味がこめられているそうです。

幸村を可愛がった秀吉が亡くなった後、関ヶ原で幸村は、父昌幸とともに三成(西軍)につきます(信幸は徳川につきます)。昌幸と幸村がわずか三千の兵で徳川秀忠の三万八千の軍を足止めしたことで、秀忠は天下分け目の戦いに間に合わないという大失態を犯しました。しかし、真田の獅子奮迅の活躍にもかかわらず、西軍は破れました。そして、父弟を想う信幸による必死の助命の働きかけにより、昌幸と幸村は紀州九度山に蟄居させられ、幸村はここで14年もの月日を送ります。

むなしく朽ち果てるのを待つばかりだった幸村のもとに、豊臣の使者が訪れました。大坂の陣の前のことです。幸村は「働き場所」を与えられ、憎き家康に戦いに挑むチャンスを得たことに心から感謝します。大坂城に集った武勇名高き「5人衆」は、幸村に長宗我部盛親、後藤又兵衛、明石掃部、そして毛利勝永でした。幸村に匹敵する活躍をした毛利勝永も、個人的には大好きな武将です。しかし、どれだけ素晴らしい城と武将が揃っても、幸村が知略を絞った作戦を進言しても、無能な上司(大野治長)が全てをぶち壊します。それでも幸村は「真田丸」を築城し大活躍しました。冬の陣における徳川勢の総戦死者のなんと4/5は、真田丸で生じたといいます。

冬の陣の後、幸村のもとを徳川の使者が訪れ、寝返りをすすめたと言います。しかし幸村は、
「秀頼公に召し出され多くの兵と持ち場を与えられました。これは領地を与えられるよりもありがたいこと」
「この戦は勝利を得られる戦ではありませんので、私ははじめから討ち死にを覚悟しています」
と語り追い返しました。まさに「義理」と「いさぎよさ」の人。そして幸村最後の舞台、夏の陣が始まります。

家康に大坂城の堀を埋め立てられたことで、もはや真田丸もありません。幸村最後の舞台は茶臼山。最後の作戦も盟友毛利勝永の兵が勝手に暴走したことで失敗し、これをみた幸村は、
「最後の戦を気持ちよくやろうじゃないか」
と語ったといいます。目指すものは家康の本陣のみ。脇目もふらず幸村隊は一直線に突き進みました。徳川勢は総崩れになり、徳川の旗印や陣幕も滅茶苦茶になって倒され、家康の本陣は一瞬にして壊滅状態となったといいます。家康がここまで窮地に追い込まれたのは、信玄との戦いとこのときの二度だけだったと言います。

「真田丸」より
















しかし、あと一歩が届かず、幸村は46年の生涯を終えました。そのあまりの勇猛果敢ぶりに薩摩島津家には、
「真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由」
との一文が残されているそうです。また、
「花の様なる秀頼様を、鬼のやう成る真田がつれて、退きものいたよ加護島(かごしま)へ」
という幸村生存伝説まで残されているとか。

日本人は桜を愛しています。それは、その花の美しさ故もありますが、美しく花を咲かせた後にパッと散る、そのいさぎよさにも理由があると思います。日本人は「いさぎよい」態度を愛し、「いさぎよさ」を美徳と考えます。幸村こそまさに「義理」と「いさぎよさ」を生涯貫いた、日本人が愛し誇るべき武人であった、と改めて感銘を受けました。















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2016年7月17日日曜日

言い訳にサヨナラすると決意できる本

本日の一冊は素晴らしい本です。是非一読することをお薦めします。

著者は、骨形成不全という先天障害を持って生まれてきました。
少しのことで骨が折れてしまいます。数え切れないほどの苦痛を経験してきました。
身長は約85cmで足も短く、車椅子がないと移動もできない身体です。
何をするにも、「でも僕は身体が...」と言い訳をしたくなる境遇です。

しかし彼は、言い訳とサヨナラしました。「でも...」という言葉を封印しました。
そして優秀な成績で博士号を取得し、個人クリニックを開設し、幸せな結婚生活も送っています。
この本で語られることは、恐らく他の同種の本でも言われていることです。
しかし、彼が語ることに大きな意味があると感じます。


言い訳にサヨナラすればあなたの人生は輝く
ショーン・スティーブンソン
成甲書房
売り上げランキング: 232,308

まず、幼い彼に、両親がかけた言葉が素敵です。
「痛いといって苦しむかどうかは、その人が決めることができる」
「病気のせいで一生できないことがおまえにはたくさんあるけれど、自分にできることを一生懸命に探してみなさい」
素晴らしい両親です。

そして彼は、「勝ち目のない勝負のほうが面白い」と自然に考えられる人間になります。「今何を選択するかによって未来を変えられる」と信じられる人間になります。もちろん、身体的な不便があっても、それを補って充分な人間性と能力、そして強い意志が彼にはありました。彼は、人生の真理について語ります。
「人生の夢や希望に手が届かない原因はただひとつ、その人の「でも」の大きさのせい」
だと。つまりは「言い訳」です。そして、言い訳を撃退するためのレッスンを本著でレクチャーします。

① 相手だけでなく、自分自身に対しても、真に心を通わせる。
一番好きになれない相手が一番必要な相手だってことがよくある。心のつながりとは与えること。周りの人とのつながりが多ければ多いほど、たくさんの人があなたに手を差し伸べてくれる。

② 自分に対する言葉に注意する。
自分に向かって言う言葉は慎重に選んでほしい。その言葉が自分と現実を創造する。常に自分に対して愛情と尊敬を持って話しかける。

③ 身体で自信を表現する。
心の状態を変えたいのなら、身体の状態を変えるべき。動作が感情を創り出す。

④ 意識のフォーカスを定める。
人生の貴重な瞬間を、自分に欠けているものばかり考えて浪費するなんてとんでもない。人生に与えられた条件は良いも悪いもない。ただ与えられたカードでゲームするしかない。自分に与えられた素晴らしいチャンスや才能を見つけられるかどうかは、自分次第だ。

⑤ ピットクルーは慎重に選ぶ。
親しく付き合う人たちは、自分の人生にとてつもなく大きな影響を与える。本物の友人がたった一人いるだけで、あなたの人生を変えてくれる。

⑥ 自分の人生は自分で所有する。
自分の人生に引き込んでくるすべてのものに対して、それが良かろうと悪かろうと、全責任を負う覚悟を持つ。自分の庭を誰かが散らかすことはあるかもしれないけれど、それを掃除するのは自分の責任だ。

胸に響く言葉が並びます。そして、私が最も人から良く聞く台詞であり、自分もついついよく口にしてしまう台詞である「でも、忙しくて...」「でも、なかなか時間が無くて...」についても、
「時間こそ唯一共通のもので、与えられた時間はみんな同じ。時間が問題なのではなく、優先順位の問題だ」
と一刀両断にします。

本著を読んで、言い訳だらけでやりたいことを後回しにしてきた自分を恥ずかしく思うとともに、やりたいと思っていたことを躊躇せずにどんどんやっていこうと改めて心に誓いました。


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2016年7月10日日曜日

日米関係について改めて考えさせられる本

最初にお伝えします。
本日の一冊は大変な名著です。が、既に絶版です。

この本を手に入れたいと思い、amazon等々で検索しましたが、最安値のところでも値段は3,000円以上。定価は1,300円なのに。高い....(T T) しかし、「絶版本なので止む無し」と諦めかけていたときに立ち寄った横浜のBOOK OFFさんでダメもとで探したら。ありました。108円......(- -;)

恐るべしBOOK OFF。と、いうことで本日の一冊です。

日本永久占領―日米関係、隠された真実 (講談社プラスアルファ文庫)
片岡 鉄哉
講談社
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本著の主題は、独立国としての日本の現在の異常な状態を冷静に分析し、その原因となった戦後の日米関係を紐解くことです。戦後から60年安保までの間の日本政府と米国政府の内幕、駆け引き、人間関係が実に詳細に描かれています。そして本著の主な主人公は、吉田茂、鳩山一郎、そして岸信介という3名の内閣総理大臣です。

本著を読むと、戦後の日本がいかに米国政府の横暴、政治家の面子、党利や派閥の権力争い、野党やマスコミの無責任に振り回され、独立国としての体をなさなくなっていったかが良く分かります。吉田、鳩山、岸政権下で形作られた、現在まで続く日本の状態(国防)は「名誉あるただ乗り」であり、その原因は「憲法は変えられないという神話」であると著者は説きます。

当時巻き起こった議論、戦力保持=「海外派兵」「米国の戦争に巻き込まれる」という論調は、いまの日本社会や国会にも、そのまま引き継がれています。しかし、本著を読み進めると、他国に依存する防衛がいかに危うくて弱いものであるかが良く分かります。

吉田政権が朝鮮戦争への貢献を拒否したことで、結果として、日本国は制裁を受けました。極度に不平等な初期安保条約をおしつけられました。湾岸戦争の際も状況は同じでした。「お金を出したのだから、もっと日本の貢献は評価されるべきだ」と日本社会、そしてマスコミは主張します。しかし、ヒトを出している国から見れば、日本は「獅子の倒れるのを待っている禿鷹(本著より引用)」に等しいのです。蔑視こそされ、感謝などされるべくもありません。

本著では、吉田茂を徹底して批判しています。しかし一方で、彼が戦後のGHQ占領下の厳しい状況で、天皇と天皇制を救うために、途端の苦しみをなめた事実は認めています。そして最終章では、彼が死ぬ前に残した言葉を引用し、現在(出版当時)の政権に警鐘を鳴らしています。

 立派な独立国、しかも経済的にも、技術的にも、はたまた学問的にも、世界の一流に伍するに至った独立国日本が、自己防衛の面において、いつまでも他国依存の改まらないことは、いわば国家としての片輪の状態にあるといってよい。国際外交の面においても、決して尊重される所以ではないのである。
 (中略)
 国民も、国土防衛というこの至上の命令において、すべからく古い考え方を清算し、新しい観点に立って再思三考すべきであろうと思う。

 私自身も、もちろん戦争には反対です。人が人を殺すなどという行為は許されるものではありません。従って、憲法9条は尊敬されるべきものであり、米軍に依存する防衛体制はやむを得ないものだと信じてきました。しかし、本著を読んで改めて考えさせられました。本当にそうなのでしょうか?

 他国の状況を見れば分かるとおり、「戦力保持=戦争に巻き込まれる」ということではなく、真の独立国になるということであり、対等な関係に基づいて都度協議を行えばよいのです。しかし、米軍に依存している状況では、そもそも対等な関係にすら立てていません。現在の状況のほうがむしろ、日本政府と国土防衛にとっては危険な状態であると言えるかもしれません。

 著者は、そもそもの現在の「日本の衰退の原因こそ憲法」であり、現在の世界情勢のなかでは「国防をおろそかにする国は存立できない」と結論づけています。戦後70年を超えたいま、もう一度憲法と国防について自分の頭で考えてみる必要性を感じた一冊でした。

いやー、本ってほんまええもんです!!


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