2016年12月3日土曜日

安岡正篤による講話『十八史略(上巻)』

風邪をひいたりしてしまい、間隔がすっかり空きました。皆様も体調にはくれぐれもご注意ください。

本日の一冊は、中国の歴史読本『十八史略』です。『十八史略』とは、三皇五帝の伝説の時代から、南宋までの歴史を要約したものです。が、もちろん普通なら、こんな物を一から読もうとは思いません。ただ、本書は、安岡正篤さんが講話された内容を纏めた書籍になります。

安岡正篤さんは、陽明学者であると同時に、歴代首相の指南役を務め、一方で昭和を代表する多くの財界人にも師と仰がれた方です。彼が『十八史略』の重要なポイントはもちろんのこと、それに付随する豊富な知識までも、存分に語ってくれています。大変勉強になる一冊でした。

十八史略(上) 激動に生きる 強さの活学 (PHP文庫)
安岡 正篤
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特に参考になったポイントをいくつか紹介します。

ー 人の人たる所以の一番大事なものは敬するということです。(中略)敬することを知らず、恥ずることを知らない者は人間ではない。

ー 人に悪(にく)むべきものが五つある。盗窃、泥棒なんどは与(あずか)らず。その五とは何ぞや。「心達にして険(いろんなことによく行届くが、その心術は険しい)」「行辟にして堅(どうもすることが片寄って、しかもなかなか改めない、頑固である)」「言偽にして弁(言うことは偽り、けれども口が達者である)」「記、醜にして博(雑博だが筋が通らん)」「非に従って沢」(悪いことをして人をうるおす)」。

ー (孔子は)「一命して僂し、再命して傴し、三命して俯す」。大抵の人間は出世するたびに、だんだん傲岸になるのだが、彼はその反対に地位・待遇が上がれば上がるほど謙遜の度を深くしていった。

ー (魏の恵王が国の宝として直径一寸もある珠(宝玉)を自慢したのに対し、斉の)威王曰く、「寡人(私)の宝は王と異なり、我が臣に檀子(たんし)という者有り。南城を守らしむれば、楚敢えて寇を泗上になさず。」(と次々に家臣の名前とその功を挙げます)。(中略)その徳を持って一隅を照らせ。これが国宝である。なるほど一人一隅を照らし、それが千人となれば千隅を照らす。

ー 山河の要害堅固なことが魏の宝であると語る武候(王)に対し、呉起曰く「特に在りて険に在らず(国の宝というものは徳にあって、そんな地形にあるものではありません)。若し徳を修めずんば、舟中の人皆敵国なり」と。

ー (位に即いて三年経っても享楽にふけってばかりいる楚の荘王に対し、家来の伍挙が謎をかけた)「鳥有り阜(おか)に在り、三年とばず鳴かず。是れ何の鳥ぞや」と。王曰く「三年とばず、とばば将に天を衝かんとす。三年鳴かず、鳴かば将に人を驚かさんとす」と。そして、王は従来の放蕩生活をプッツリと断ち切ってしまった。

ー 「愚者は成事に昏(くら)く、智者は未だ萌(きざ)さざるに見る」。愚かな者はできあがったことに暗い。智者は未萌の中にちゃんと見て取る。どうしてそうなったかというようなことは、愚者にはわからない。けれども智者は未萌、そんな事が始まらん前に、未だ萌さざるにちゃんとそれを見て取る。

他にも、生きていくうえでの指南、中国人の一般的な考え方を知るうえで参考となる教え等々が、沢山盛り込まれています。ただ、このまま下巻までいくと長くなりすぎることが確実なので、上巻でひとまず今回は終わりとします。下巻は次回に。


いやー、本ってほんまええもんです!!


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