2016年5月29日日曜日

通念なんて超ヤバい経済学でぶっ壊せ的な本

本日は、前回取り上げた「ヤバい経済学」の続編です。
シリーズ第三弾が出版された関係で、読み返してみています。

超ヤバい経済学
超ヤバい経済学
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スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・ダブナー
東洋経済新報社
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前作に引き続き、我々が当たり前に抱いている通念を、経済学(と言っても、経済学に基づいてデータを解析した、という意味でしか出てきませんが.....)に基づく検証で徹底的に壊してくれています。
しかも、今回もやはりその内容は、面白く、かつ刺激的!!

例えば、アダム・スミスの「道徳感情論」的人間の思いやりとインセンティブの議論について。

著者は、一見優しさから生まれたように見える人間の思いやりの行動も、実は、何らかの自分の都合に基づく動機(金銭的なものからちょっとした満足感まで含めて)と深く結びついていると主張します。例えば、実験の結果を見れば、何らかの「監視」が人に与える影響は絶大です(要は気前のいい人に"見られたい"ということで、実際にSNSで見られる現象についても様々なところで言われています)。人間は「よく」もなければ「わるく」もなく、人間は人間で、インセンティブに反応する(インセンティブで、いいほうにもわるいほうにも操作しうる)と結論づけています。

そして、インセンティブが実際に悪い効果を及ぼした歴史的な事件が紹介されています。1964年の深夜に発生した、男性が3度にわたって現場に戻り、女性を暴行して刺殺した事件です。衝撃的なのは、その事件がまさに起こっていた30分以上の間、付近に住む38人の市民がただ傍観して警察にも通報すらしなかった、というニューヨーク・タイムズが伝える「事実」。この記事(事件)は、国内ですごい反響を起こし、「傍観者効果」として社会心理学の教科書にも必ず掲載されているそうです。しかし、それは本当に「事実」だったのでしょうか?

当時の「事実」を調査すると、男性が暴行を行ったのは2回で、しかも2回目の現場は市民から死角となる場所でした(被害者が自力で移動したため)。さらに目撃者も実際は6人しかおらず、そのうちの数名は1回目の暴行を目撃した際に加害者を大声で威嚇し、さらに警察に通報もしていました。では、何故これほども「事実」に齟齬があるのか?野心でいっぱいの編集者は、世論に影響を与える記事を書きたいという強いインセンティブがありました。一方で、初動に失敗して誤認逮捕までしていた警察も、自分たちの責任を隠したい強いインセンティブがありました。これこそまさに、インセンティブが人間を「わるい」方向に操作した事例と言えます。

他にも、安くて簡単なお悩み解決法の絶大な効果とそれに逆行するインセンティブについても書かれています。

例えば、食糧危機を救ったのはびっくりするくらい安い硝酸塩肥料であったとか、心臓病による死亡率の低下に最も寄与しているのはバカみたいに安い薬であるとか.....。しかし、人間は様々なインセンティブから(多くは儲けたいから)、無駄に高くて効果の低い解決法を人々に求めます。その典型的例として、チャイルドシートが取り上げられています。

シートベルトのコストは、1個たったの25ドルほど。一方で、チャイルドシートははるかに高価です。しかし、それもこれも子どもに高い安全性を確保するため、と親は理解しています。でも、その「安全性」は本物でしょうか?過去30年にわたる膨大なデータを分析したところ、2歳以上の子どもの場合には、従来のシートベルトで、チャイルドシートに求められる安全性の規準は全て満たしていたそうです。軽い怪我を防ぐ、という意味でのみチャイルドシートは効果をいくぶんか発揮していましたが、それもシートベルトを調整できるように工夫するだけで安価に問題は解決されるとしています。人間はどうも、お金も手間もかかる道をわざわざ好んで選んでいるようです。

地球温暖化の話も刺激的です。地産地消は実は温室効果を高めるとか、人間の活動は地球全体の二酸化炭素排出量の2%に過ぎないとか、場所によっては木を植えると逆に温暖化が進むとか、我々の通念と異なる刺激的な指摘が様々になされています。そのうえで、現在の最大の問題点は、人間の振る舞いを変えさせて二酸化炭素の排出量を減らすという策に頼っており、それを実現させるためには全くもってインセンティブが不足していることだと指摘しています。人が新しく排出させる二酸化炭素を減らすという策のみに頼るのは、全く持って非論理的というのが著者の主張です。そこで注目しているのが、過去の超火山の噴火で、成層圏に達した亜硝酸ガスが地球の気温を冷やしたという事実。この効果を人為的に作り出すことこそが、害もなく、コストも極めて低い温室効果削減の手段だと言います。著者の主張に対する受け止めは、まさに人様々だと思います。しかし、「現実的な手段」を求める際の物の見方について、新たな気付きをもらえる指摘でした。

いやー、本ってほんまええもんです!!


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2016年5月21日土曜日

通念なんて経済学でぶっ壊せ的な本

本日は、最新作「ヤバすぎる経済学」が出版(早速購入!)されたことで読み返した一冊。
シリーズ1作目の「ヤバい経済学」です。このシリーズ、好きです。

ヤバい経済学 [増補改訂版]
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー
東洋経済新報社
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「経済学」と銘打ってはいても、お堅い本では全くありません。数式なんて全く出てこない。社会で一般的に信じられているような通念を、経済学の考えで検証している(覆している)本です。雑学本と言ったほうが近いかもしれません。しかし、そのテーマは面白く、実に刺激的(過激)です。

手始めは、子どもを引き取りにくる親の遅刻を減らすために、罰金制度を導入したイスラエルのとある保育園の話。結果、親の遅刻はすぐに......増えた。これは、道徳的なインセンティブ(罪悪感)が経済的インセンティブ(小額の罰金)で置き換えられてしまったため、と説明されています。

日本人なら馴染みの深い相撲の話も出てきます。昔からよく言われる「八百長はあるのか?」という問題です。7勝7敗の力士が最終日に、既に勝ち越している(でも賞争いには関係がない)相手と戦った場合の勝率は不自然に高いそうです(8割近い)。これが八百長かどうかは定かではないものの、他の場所での同じ力士同士の対戦成績や部屋単位での戦績を見るとその不自然度はより増す、と著者は言います。

特に過激なのは、1990年代にアメリカで犯罪が減少した理由の分析です。世間で言われる「好景気」や「警官の増員」はいくらか犯罪減少に寄与したものの、一方で、ニューヨークでジュリアーニ市長などが主導したことで有名な「割れ窓理論」のような「画期的取締まり戦略」はほとんど何の効果も及ぼさなかった、と言い切っています。

では、犯罪減少に最も寄与した事実は何なのか?

著者の結論は「中絶の合法化」です。1973年以降の中絶の合法化により1990年代に犯罪が減少した、と言うのです。実際に、チャウシェスク政権下のルーマニアでは、その逆のことが起こりました。中絶を禁止した以降に生まれた子どもたちの犯罪率が、それ以前に生まれた子どもたちよりもずっと高くなったそうです。反発を受ける可能性は十分に承知したうえで、それでも著者は様々なデータに基づき、実に論理的にこの結論を主張しています。

さらに、私のような小さい子どもを持つ親にとって、実に興味深いテーマも取り上げています。

親が子育てで出来ることとは?

例えば、データに基づく分析では、家に本がたくさんある子どもは、実際に試験の成績も良いそうです(但し、相関関係は明らかにあるものの、因果関係は不明とか)。しかし一方で、多くの親が普通に信じている通念である、子どもによく本を読んであげると試験の成績がよくなる.....みたいな事実は無いそうです。

結論として、数字に基づく分析では、親が子どもにしてあげる色々なことは子どもの成績とはほとんど相関関係がないそうです。美術館に連れて行ったり、たくさん本を読んであげても、あまり意味は無いと。そんなことより、親がどんな人であるか、どんな人と結婚して、どんな人生を歩んできたか、ということが重要なそうです。しかしこれは、親にとっては実にショッキングな結論です。何故なら、この結論だと、大事なことはずっと前に決まってしまっており、遺伝や取り返しがつかない親の過去で子どもの将来が決まってしまうからです。

しかし一方で、著者はこんなデータも示しています。養子であることと試験の点には強い負の相関関係がある。子どもの成績は、育ての親の知能指数よりも生みの親の知能指数にずっと強い影響を受ける。しかし、そんな事実にも係らず、養子に出された子どもは、大人になるころには、知能指数だけから予測される運命から力強く這い上がっているそうです。仮に親が子どもにしてあげられることに大して意味はないとしても、子どもに望む姿について親が自身を厳しく律し、自らの背中でリアルタイムで見せていくことにはやはり大きな意味がある、ということではないでしょうか。

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2016年5月14日土曜日

0から1を生み出してみましょう的発想本

本日は、大前研一さんの新著です。
大前研一さんの著書を久しぶりに読みました。

「0から1」の発想術
「0から1」の発想術
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大前 研一
小学館
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本書は、1を1.1や1.2にする「カイゼン」ではなく、0から1を生み出す「イノベーション」のための発想術が紹介されています。

結論から言うと、特段新しい発想術はありませんでした。ただ、知っているだけでは意味がなく、こうした発想術は習慣にしていくことではじめて意味を持ちます。従って、見直すためにも、これだけの発想術を1冊に纏めてくれていることに、本書の価値があると思います。

取り上げられている発想術について、個人的意見・感想も含めていくつか紹介します。

① 孫さんのタイムマシン経営で有名な、情報格差で利益を生み出す「アービトラージ」という発想術。
② 小さな兆しをとらえて高速の早送りを行い、来るべき未来を創造する「早送りの発想」術。
いずれの発想術でも、ビジネスに活かしていくにはスピードが重要です。しかし、そのためには英語力が必須だということを再認識しました。日本語に訳されていない情報が、世界中には溢れています。こうした情報に対して、直接アクセスできる必要があります。

③ 資産の稼働率を高める「固定費に対する貢献」という発想術。
④ ネットを活用してユーザーとサービスを結びつける「空いているものを有効活用する発想」術。
UberやAirbnbが有名な例ですが、こうしたサービスは、ネットの発展でどんどん巷に溢れてきています。国内でも、プロフェッショナルと企業をマッチングする「ランサーズ」や空きスペースをマッチングする「軒先.com」などが有名です。大塚商会さんも、私のような企業内診断士を有効活用するサービスを手掛けられています。一方で、投資コストが極めて低いこうしたサービスにおいては、差別化が大きな経営課題だと思います。

⑤ 事実を集めたうえで、発想を飛躍させて答えを導き出す「全てが意味することは何?」という発想術。
⑥ 見えないものを大きな概念の絵にする「構想」という発想術。
このためには、問題を解く力ではなく、より大きな視点で正しい問題を設定する力が必要と考えます。ふと、ある大企業の社長さんが以前に言われていたことを思い出しました。「日本の教育制度の弊害だ。我が社には、与えられた問題を器用に解くことに長けた社員ばかり。現状を壊したり、新しいものを創造できる "バカ者" がいない」と。しかし、そもそも社長が仰る "バカ者" を許容できる採用規準や人事規準が、その企業には用意されているのでしょうか?そんな疑問を持ちました。

他にも「時間軸をずらす」や、違う業界から学ぶ「横展開」などは私もよく使う発想術で、かなり使えます。一方で、著者は最後に、企業の中で新規事業を創出するための条件として「外部の力を巻き込む」「会社が余計な口を出せないようにする」「成功した時のインセンティブを約束しておく」ことを挙げています。私の知っているある会社でも、新規事業の創造を期待した制度を運用されています。しかし、上記の条件が一つも揃っていません。結果、ただの小粒なアイデア大会にしか、私には見えませんでした。

著者も最初に述べていますが、これからは個人の力が世界を変える時代です。既存の企業も生き残るためには、個人の力を最大限に活かす必要があります。従来どおりの社員を管理する発想しかできない企業は、近い未来、市場からの退場を強いられるのではないでしょうか。

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2016年5月8日日曜日

バベルの塔 × 万城目ワールド = な本

本日は、万城目学さんの最新作。
いわゆる「万城目ワールド」、大好きです。
が、どうも今回の作品は、趣が少し違いました。

バベル九朔
バベル九朔
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万城目 学
KADOKAWA/角川書店 (2016-03-19)
売り上げランキング: 7,149

一体どう違うのか?

本作でも変わらず、不思議な力は出てきます。「偉大なる、しゅららぼん」との繋がりも出てきて、思わず二ヤッとさせます。でも、これまでの作品で見られた、独特の「ユルさ」がありません。息が詰まるような展開が繰り広げられます。舞台も、これまでの古都の趣が残る関西の町ではなく、陰鬱な建造物「バベル」です。

本作の主人公は、雑居ビル「バベル九朔」の管理人。小説家を目指して会社を辞め、尊敬する祖父(故人)が建てたビルの5階に転がりこみます。そして、離れて住む母に文句を言われながら、管理業を務め、小説を書き続けています。しかし、様々な賞に申し込むものの、一次選考すら通過したことはありません。一方で、かつて祖父の時代にはテナントの出入りが激しかったビルも、現在は5つのテナントが入居して安定しています。

そんな日常に、少しずつ歪みが生じ始めます。謎の窃盗団が登場し、水道メーターが異常な数値を示し、巨大ネズミが殺されます。そして、(文字通りの)カラス女が現れ、主人公に尋ねます。
「扉はどこ?」「バベルは壊れかけている」

そこから話は、あっちの世界に移ります。つまりは、主人公の祖父が作りあげた世界(バベル)に。そこには大きな湖があり、進まない船と動かない太陽があり、エンジン無しで進む車があり、歳をとらない少女が一人だけいます。そして突如、天まで届くような塔が出現します。

突然この世界に侵入してきたカラス女から逃げるため、主人公はこの塔を登り始めます。そこには何故か、これまでバベル九朔を出て行った歴代のテナント(80以上)が入っています。そして、死んだはずの祖父まで登場します。この世界を清算したいカラス女と世界を維持したい祖父、そしてこの世界から出て行きたい少女。もはや、誰が言っていることが真実なのかすら良く分からなくなってきます。

ただ、やがて明らかになってくる真実はざっと以下のとおり。
① 主人公の祖父は不思議な力を持っており、この世界(バベル)を作った。
② この塔は、「無駄を見ている人間の結末」を力にして上に伸びている。
③ 「無駄を見ている」とは、夢を追って徒労に終わった情熱のこと。
④ ③とは具体的には、潰れたテナントや主人公の書く小説。
⑤ テナントの出入りがなくなり、主人公も小説家になる夢を諦めたため、塔は伸びなくなった。
⑥ 塔には、地上から多くの影が流れ込んできている。影とは、社会からあぶれた汚濁など。
⑦ 塔が伸びなくなり、一方で影は流れ込み続けているため、影が溢れてきている。
⑥ 影が溢れてしまうと、バベル(塔)は崩壊する。崩壊すると、現実世界で大戦が起こる。
⑥ カラス女の役割は、バベルが崩壊する前に、バベルを清算すること。
⑦ 一方で祖父は、自分の力を引き継ぐ主人公を利用し、バベルを維持しようと企む。

そして、主人公は最後に、ある決断をします。なんとか祖父の作ったバベルを維持するために.....

最初に述べたとおり、本作はこれまでの万城目作品とは趣が違います。恐らく万城目ファンでも賛否が分かれるのではないかと.....。ただ、個人的には嫌いではありません。

本作では、誰かが夢に向けて努力した情熱が、現実世界の影を呑み込む力となっています。「無駄」と表現されてはいるものの、その「無駄」が汚濁を呑み込む力となっています。夢に向き合う情熱は、決して「無駄」ではありません。最後に現実世界を救うのも、まさに夢に向かう情熱の力でした。
そして本作では、言葉が持つ力も強調されています。旧約聖書に出てくるバベルの塔は、神が人々の言葉を乱した(言葉を通じなくさせた)ために建設が中止されます。しかしカラス女と主人公は、言葉が全てではないレベルで最後に分かり合います。そして、バベルは維持されます。
陳腐な感想かもしれませんが、夢に向き合うことの大切さ、そして人が分かり合ううえで言葉が全てではない(人々は分かり合える)、ということを感じた作品でした。

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2016年5月1日日曜日

キューバ・ミサイル危機の背景を考える本

本日の1冊は1971年に刊行された政治学の古典。日経BPクラシックスシリーズでの再版です。
古典の名著を新訳で発刊してくれる日経BPクラシックスシリーズ、お薦めです。
本著は1/2巻で合わせて850頁。なかなかの読み応えでした。

日経BPクラシックス 決定の本質 キューバ・ミサイル危機の分析 第2版 I
グレアム・アリソン フィリップ・ゼリコウ
日経BP社
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本書で扱うのは、国家とか政府の意志決定、政策決定論です。
著者は3つのモデル化を行い、それに基づき、1962年のキューバ危機の説明を試みます。
ちなみにキューバ危機とは、ソ連のキューバへのミサイル(核ミサイルも)配備を契機に、米ソが全面核戦争寸前まで達した危機的事態のことです。

まず1つめのモデルは「合理的アクター」モデル。いわゆる経済学で言うところの「合理的経済人」とイコールな考え方です。
国家を1つのまとまった人格と捉え、その人格はある目標のために、複数の選択肢から合理的な判断に基づいて政策を選択すると考えます。一般的な国際報道で行われている分析の多くは、これです。
例えば最近で言えば「北朝鮮は、米韓合同軍事演習に対する牽制目的でミサイルを発射した」といった報道がなされていました。これってすごく分かりやすい分析です。が、本当にそんな単純な話(北朝鮮の場合は独裁国家なので、本当に単純な話なのかもしれませんが......)なのでしょうか?

本著では各モデルに従い、キューバ危機を分析していきます。まず「合理的アクター」モデルに基づくと、キューバへのミサイル配備の背後にあるソ連側の目的として「米国のミサイル戦力とのギャップの解消」および「ベルリン問題に対する交渉の優位性獲得」があげられます。しかし、この目的に照らすとどうしても説明できない事象が、いくつか残ります。例えば、
・何故、ソ連はミサイル基地の建設現場に偽装を施さなかったのか?
・既成事実(配備完了後)の公表がソ連にとっては必須であったにも係らず、何故フルシチョフ(当時のソ連の最高指導者)の公表(予定)の前にミサイル配備が完了する計画とはなっていなかったのか?
等々。このモデルは議論の出発点としては大きな効果を持ちます。しかし、このモデルだけで説明を完結させることには困難が伴います。経済学において新たに行動経済学の研究が進んだのと同様、合理的に行動する国家(人)という前提はどうも怪しいようです。

そして議論は、2つめの「組織行動」モデルに移っていきます。
これは、国や政府を構成する組織に着目し、組織内の業務手順や文化、制約、組織が有する使命など組織過程の所産として、政策アウトプットを考えます。
例えば、先の建設現場の偽装工作に関する疑問も、「組織の(他国のソ連基地向けの)既存の正規手続き」に従った結果であり、即応態勢と偽装工作の間の「組織としての優先順位付け」の結果、と考えると説明がつきます。例えそれが、全体として見た際に不合理であったとしても、です。
しかし当然ながら、この「組織行動」モデルだけで全てを分析することは無理です。何故なら、そこには「国家」としての意思がないからです。

さらに議論は、3つめの「政府内政治」モデルに移っていきます。
組織は、しかるべき役職にいる人間の集合体です。当然ながらこれらの人々は、代表する組織のポリシー、保有する情報量や影響力、個人としての価値観、責任の度合い等々が様々に違います。何を見て、何に重きを置くかは各人次第です。従って、政策とは、そうした役職者たちの駆け引きの結果である、と考えます。内情がある程度分かる(あるいは想像できる)場合、例えば自国の政治や自分が努める会社における意志決定などについて考えてみるのであれば、このモデルはしっくりくると思います。
しかし、他国や他社の政策・行動を分析する場合には、このモデルには限界があることが分かります。理由は、情報コストが極めて高い、ということです。このモデルに基づく分析を試みるうえでは、組織内部の個人の主張や議論のプロセスなど赤裸々な情報が不可欠となってくるからです。立場が変われば態度も変えるプレーヤー一人一人にまで目を光らせて分析を行うことには、そもそも無理があります。

しかし、著者が示した「組織行動」と「政府内政治」の両モデルには、それでもやはり大きな意味があると考えます。「合理的アクター」モデルは、確かに分かりやすく使いやすい有益なモデルです。しかしそれだけで考えると、そもそも「核戦争に突入する可能性を高める選択肢は合理的ではない」という理由から、キューバ危機自体があり得なかった選択肢となってしまいます。しかし、現在開示されているアメリカ側の膨大な情報を紐解くと(ソ連側の情報はごく限定的にしか開示されていないため)、当時米ソが全面衝突する可能性は限りなく高まり、むしろ核戦争を回避できたことのほうが奇跡的であったことが分かります。そこには「組織行動」と「政府内政治」の両モデルが存在しないと説明できない「現実」が、確かにあります。

翻って、現代でも構図は全く同じです。「第三次世界大戦(人類滅亡に繋がりかねない核戦争)に突入しかねないような武力行使を行うことは非合理的だ」というのが常識人の考えです。国家を1つの合理的な人格と考えると、こうした非合理的な行動はどこもとらない「はず」です。しかし、例えば核兵器を保有する国の組織における「手順」が部分最適で機能した結果、核兵器が発射されてしまう可能性は十分ありえます(まさに、キューブリックの「博士の異常な愛情」の世界です)。あるいは、あるプレイヤーの政府内における駆け引きの所産として、無謀な軍事作戦が決定されてしまう可能性も十分ありえます(米国の前回のイラク侵攻などは、この匂いがすごくします)。意志決定を行う側にいる人間がこの3つのモデルを十分に認識し、注意をしておくことには大きな意味があると感じました。

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