2016年5月1日日曜日

キューバ・ミサイル危機の背景を考える本

本日の1冊は1971年に刊行された政治学の古典。日経BPクラシックスシリーズでの再版です。
古典の名著を新訳で発刊してくれる日経BPクラシックスシリーズ、お薦めです。
本著は1/2巻で合わせて850頁。なかなかの読み応えでした。

日経BPクラシックス 決定の本質 キューバ・ミサイル危機の分析 第2版 I
グレアム・アリソン フィリップ・ゼリコウ
日経BP社
売り上げランキング: 64,795

本書で扱うのは、国家とか政府の意志決定、政策決定論です。
著者は3つのモデル化を行い、それに基づき、1962年のキューバ危機の説明を試みます。
ちなみにキューバ危機とは、ソ連のキューバへのミサイル(核ミサイルも)配備を契機に、米ソが全面核戦争寸前まで達した危機的事態のことです。

まず1つめのモデルは「合理的アクター」モデル。いわゆる経済学で言うところの「合理的経済人」とイコールな考え方です。
国家を1つのまとまった人格と捉え、その人格はある目標のために、複数の選択肢から合理的な判断に基づいて政策を選択すると考えます。一般的な国際報道で行われている分析の多くは、これです。
例えば最近で言えば「北朝鮮は、米韓合同軍事演習に対する牽制目的でミサイルを発射した」といった報道がなされていました。これってすごく分かりやすい分析です。が、本当にそんな単純な話(北朝鮮の場合は独裁国家なので、本当に単純な話なのかもしれませんが......)なのでしょうか?

本著では各モデルに従い、キューバ危機を分析していきます。まず「合理的アクター」モデルに基づくと、キューバへのミサイル配備の背後にあるソ連側の目的として「米国のミサイル戦力とのギャップの解消」および「ベルリン問題に対する交渉の優位性獲得」があげられます。しかし、この目的に照らすとどうしても説明できない事象が、いくつか残ります。例えば、
・何故、ソ連はミサイル基地の建設現場に偽装を施さなかったのか?
・既成事実(配備完了後)の公表がソ連にとっては必須であったにも係らず、何故フルシチョフ(当時のソ連の最高指導者)の公表(予定)の前にミサイル配備が完了する計画とはなっていなかったのか?
等々。このモデルは議論の出発点としては大きな効果を持ちます。しかし、このモデルだけで説明を完結させることには困難が伴います。経済学において新たに行動経済学の研究が進んだのと同様、合理的に行動する国家(人)という前提はどうも怪しいようです。

そして議論は、2つめの「組織行動」モデルに移っていきます。
これは、国や政府を構成する組織に着目し、組織内の業務手順や文化、制約、組織が有する使命など組織過程の所産として、政策アウトプットを考えます。
例えば、先の建設現場の偽装工作に関する疑問も、「組織の(他国のソ連基地向けの)既存の正規手続き」に従った結果であり、即応態勢と偽装工作の間の「組織としての優先順位付け」の結果、と考えると説明がつきます。例えそれが、全体として見た際に不合理であったとしても、です。
しかし当然ながら、この「組織行動」モデルだけで全てを分析することは無理です。何故なら、そこには「国家」としての意思がないからです。

さらに議論は、3つめの「政府内政治」モデルに移っていきます。
組織は、しかるべき役職にいる人間の集合体です。当然ながらこれらの人々は、代表する組織のポリシー、保有する情報量や影響力、個人としての価値観、責任の度合い等々が様々に違います。何を見て、何に重きを置くかは各人次第です。従って、政策とは、そうした役職者たちの駆け引きの結果である、と考えます。内情がある程度分かる(あるいは想像できる)場合、例えば自国の政治や自分が努める会社における意志決定などについて考えてみるのであれば、このモデルはしっくりくると思います。
しかし、他国や他社の政策・行動を分析する場合には、このモデルには限界があることが分かります。理由は、情報コストが極めて高い、ということです。このモデルに基づく分析を試みるうえでは、組織内部の個人の主張や議論のプロセスなど赤裸々な情報が不可欠となってくるからです。立場が変われば態度も変えるプレーヤー一人一人にまで目を光らせて分析を行うことには、そもそも無理があります。

しかし、著者が示した「組織行動」と「政府内政治」の両モデルには、それでもやはり大きな意味があると考えます。「合理的アクター」モデルは、確かに分かりやすく使いやすい有益なモデルです。しかしそれだけで考えると、そもそも「核戦争に突入する可能性を高める選択肢は合理的ではない」という理由から、キューバ危機自体があり得なかった選択肢となってしまいます。しかし、現在開示されているアメリカ側の膨大な情報を紐解くと(ソ連側の情報はごく限定的にしか開示されていないため)、当時米ソが全面衝突する可能性は限りなく高まり、むしろ核戦争を回避できたことのほうが奇跡的であったことが分かります。そこには「組織行動」と「政府内政治」の両モデルが存在しないと説明できない「現実」が、確かにあります。

翻って、現代でも構図は全く同じです。「第三次世界大戦(人類滅亡に繋がりかねない核戦争)に突入しかねないような武力行使を行うことは非合理的だ」というのが常識人の考えです。国家を1つの合理的な人格と考えると、こうした非合理的な行動はどこもとらない「はず」です。しかし、例えば核兵器を保有する国の組織における「手順」が部分最適で機能した結果、核兵器が発射されてしまう可能性は十分ありえます(まさに、キューブリックの「博士の異常な愛情」の世界です)。あるいは、あるプレイヤーの政府内における駆け引きの所産として、無謀な軍事作戦が決定されてしまう可能性も十分ありえます(米国の前回のイラク侵攻などは、この匂いがすごくします)。意志決定を行う側にいる人間がこの3つのモデルを十分に認識し、注意をしておくことには大きな意味があると感じました。

いやー、本ってほんまええもんです!!


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